軍艦防波堤
以前から気になっていた若松区の『軍艦防波堤』…
思い切って行ってみました… 迷いに迷ってやっと到着…
現地まで『軍艦防波堤』の案内はなく、見つけたときにはちょっと感動…
軍艦防波堤
この岸壁に出ている船体は、旧日本海軍の駆逐艦「柳」です。戦後間もない昭和23年9月他の駆逐艦「冬月」「涼月」とともに、洞海湾を響灘の荒波から守る防波堤として沈められました。北側の響灘は埋め立てられ防波堤の役割は終わりましたが、今でも「軍艦防波堤」と市民に呼ばれています。「冬月」「凉月」の2艦はこの手前の護岸の中に埋没していますが、この両艦は昭和20年4月「沖縄特攻作戦」の戦艦大和の直衛艦として出撃し大破しながらも奇跡の生還を果した艦です。なお、高塔山中腹にこの3艦の戦没者慰霊碑が建立されており、詳しい説明が書かれております。
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軍艦防波堤連絡会さま
本家さまからのコメントありがとうございます。
保存および情報収集活動お疲れ様でございます。
これからもよろしくお願いいたします。
投稿: isa@管理人 | 2017.11.20 13時43分
isa@管理人さま、丁寧なページを作っていただき、ありがとうございます。caramelpapaさま、ドルフィンのいわれを初めて知りました。
mimizuさま、冬月の貴重な逸話、感動でした。
投稿: 軍艦防波堤連絡会 | 2017.09.17 21時21分
mimizuさま
駆逐艦冬月のそのエピソードは
どこかの文献で読んだ覚えがあります・・・
実際にその光景を見られた方がいらっしゃたとは・・・
貴重なお話しありがとうございます・・・
投稿: isa@管理人 | 2015.06.20 18時34分
大正生まれの父が関門海峡に繋留されていた駆逐艦冬月が関門海峡を襲ったB29を主砲で撃墜したのを見たそうで生前一度軍艦防波堤に行きたいと言っていた事が忘れられない。
投稿: mimizu | 2015.06.19 13時30分
時間の経過がよくわかりました。
ありがとうございます。
戦後70年の今年・・・
「戦艦武蔵」もフィリピンの海底から見つかりました。
この若松「軍艦防波堤」も
今まで以上に注目されるかも知れません・・・
投稿: isa@管理人 | 2015.03.23 00時38分
この場所にある
朽ちたように見える桟橋?
不思議でしたが
やっとでわかりました
あれは
ドルフィンと呼ぶそう
係留施設のうち
沖に止める
浮遊しない
杭のような物を
ドルフィンと呼ぶそうです
軍艦防波堤は
昔々 北連歌浜の先
砂州の先の灯台の先
波よけとして三隻沈められていて
当時は柳が陸続きでした
その後 埋め立てで
冬月が地続きになった時に
柳の方を切り離して
船が入れるようにして
貯木場を作ったのだとか
青橋はまだなく
完全に陸続き
貯木場の奥は塞がれていたそう
で
このドルフィンは
ランバーキャリーを停泊させるため
原木をここで海に下ろして
貯木場に持ち込み 筏を組んで
引き船で二島の段谷に運び
製品にしていたらしいです
投稿: caramelpapa | 2015.03.20 21時25分