河内貯水池の秋 2014
八幡東区にある「河内貯水池」…
『旧 官営八幡製鐵所(現 新日鐵住金)』所有の工業用貯水池(ダム)です…
日本近代化の礎になりました…
河内貯水池 (竣工年 1927年)
1916年(大正5年)第3期拡張計画と将来の給水計画により、1919年(大正8年)八幡東部を貫く板櫃川の渓谷を堰止め、430万円という、当時としては巨額の費用と、延べ90万人という多大な人力、そして8年という歳月を費やし着工され、1927年(昭和2年)、東洋一のダムとして竣工した。
貯水池周辺にはそれぞれの構造形態をもつ河内5橋(北河内橋、南河内橋、中河内橋、猿渡橋、水無橋)が架けられている。
これら橋や建物、池などの構造物は、当時の八幡製鐵所 土木部長そして詩人でもある沼田尚徳氏の設計によるもので、多様な組積方法による造形美は、北河内産石材を使って表現されている。(案内図より)
堰堤駐車場の山側にある階段を登ると無人の「管理事務所」があります…
土木部長 沼田尚徳氏の書“遠想”…
八幡西区の「養福寺貯水池」にもそっくりな施設があります…
養福寺貯水池 花見開放
堰堤先の岩場にはめ込まれた英文の石板…
KAWACHI RESERVOIR. = 河内貯水池
COMPLETED IN SHOWA 2.(1927)= 昭和2年(1927年)竣工
DESIGNED AND BUILT BY = 設計・建設
H.NUMATA. M.AM.SOC.CE. = 沼田尚徳 米国土木学会会員
M.ADACHI. C.E. = 足立元二郎 チーフエンジニア
Y.MATSUO. ASST ENG. = 松尾愛亮 アシスタントエンジニア
堰堤横の表示板には「旧新日鐵」の社章(マルエス×フジエス)が現存…
名前と違って洗練されたフォルムの「太鼓橋(1925年竣工)」…
2006年に国の重要文化財に指定された「南河内橋(1926年竣工)」…
通称“魚形橋”または“めがね橋”と呼ばれています…
〈資 料〉河内貯水池魚型橋の光景(昭和6年)の絵葉書
当時は自動車も利用できたようです…
橋の上部両側に八幡製鐵所の社章「マルエス」マークもありました…
河内桜公園内にある「桜吊橋」… 新しく公園用に整備されたもの
石造りの噴水が3基並ぶ「亜字池噴水」… 随分稼働してないようです
まるで遺跡のようになってる「三方弁室跡」… 桜公園の遊歩道近くにあります
河内サイクリングセンター近くにある「西南女学院(小倉北区)」の研修所…
この「西南女学院 河内研修所」が
1958年の松竹映画『この天の虹』に出てくる
「八幡製鐵 健康保険クラブ(八幡製鐵 河内寮)」だったとのこと…
(C)1958 松竹株式会社
〈参 考〉「この天の虹」に出てくる昔の北九州
貯水池周辺には数多くの廃墟が存在します… ホテル跡かな???
(追記:「河内荘」とのことです)
〈資 料〉
(C)新日鐵住金八幡製鐵所
河内堰堤 放水風景(1927年)
手前「太鼓橋」から眺める関係者… 右上「管理事務所」も見える…
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omiomi 様
コメントありがとうございます。
河内貯水池は、風光明媚な場所なのですが、
栄枯盛衰の歴史、いつももの悲しい空気を感じます。
もう数年行ってないので、この掲載内容からは、随分状況は変わっていると思われます。もし、下に降りられる場合は、複雑な順路、滑りやすい足元、動物、害虫等にはお気を付けくださいませ。
投稿: isa@管理人 | 2022.05.02 13時27分
先日 こちらの河内貯水池に立ち寄りました。あまりの素晴らしさに感動しました。
もっと調べたいと見ていたらこちらのHPにたどり着きました。
古い資料も素晴らしいですね。よくぞ載せて下さいました!
「亜字池噴水」も昔は噴水だったのでしょうね
とても面白い形ですね
下まで降りる時間はなかったのですが、このHPでみていつか行って見たいと思いました
山側の石積みの管理事務所も見たかったな
投稿: omiomi | 2022.05.01 13時19分
下流の大蔵出身様
コメントありがとうございます。
あの橋にバスが走ってたなんて、今では想像もつきません。
廃墟もあって、昼間でも少し怖い感じの場所でした。
投稿: isa@管理人 | 2022.04.11 11時23分
下流の大蔵出身です。懐かしい史料をありがとうございます。
南河内橋は昭和40年代まで西鉄バスも通ってました。その後現在の南西側の道路が整備され南河内橋は幹線ではなくなりましたが、昭和55年くらいまでは車両通行可能でした。
投稿: | 2022.04.05 13時52分
いつも情報ありがとうございます。
本文を2箇所、追記いたしました。
確かに「中河内橋」が長崎で有名な
“めがね橋”タイプですもんね・・・
「南河内橋」の奥にホテルのような廃墟がありますが、
あれが“樋口軒”でしょうか?
そこの横の公衆トイレに入ったのですが
昼間でも不気味でした・・・
河内貯水池周辺は廃墟マニアには垂涎の場所でしょうね・・・
投稿: isa@管理人 | 2014.12.09 21時44分
北九州の軽井沢こと河内には
ホテルや旅館、料亭が多数あったようです
あのホテルは河内荘
南河内橋傍は樋口軒だったと思います
昭和五十年代でも
まだ営業していたと思います
ちなみに
南河内橋は通称眼鏡橋ですが
正式には魚形橋
河内で眼鏡橋は中河内橋です
と
お詳しい方たちは
揃って言われます
でも
水面映るまでもなく
見たまんま
眼鏡に見えますもんね
先日 八幡図書館での講演会でも
講師の方が指摘されて
ちょっと可笑しかったです
投稿: caramelpapa | 2014.12.08 19時12分