八幡製鐵 大谷プール跡 2016夏
八幡東区大谷の『新日鐵住金 大谷体育館』…
旧八幡製鐵の流れをくむ二代目の『大谷体育館』です…
久しぶりに敷地内にある『八幡製鐵 大谷プール』跡を見に行きました…
体育館横の法面(のりめん)に当時の観客席の一部が残っています…
観客席下に設置されている「末広杯高校水泳場跡」の銘板…
末弘巌太郎(いずたろう)氏の揮毫が印字されています…
末弘杯 全九州高等学校水泳大会
大会は1936年に近県中等学校水上競技大会として、八幡東区にあった八幡製鐵大谷プールでスタート。1958年から、日本水泳連盟の初代会長である故・末弘巌太郎氏にちなみ『末弘杯』の名を冠するようになった。かつて「末弘杯を制する者は、全国を制する」といわれた時代もあり、末弘杯で成長し五輪に出場した選手はローマ五輪銅メダルの田中聡子選手ら50人以上に上る。その後、北九州市立文化記念公園プール(小倉南区)に移り、現在は福岡県立総合プール(福岡市)で開催している。※引用:西日本新聞(再掲)
上部のプレートには
「建立2003年5月 八幡製鐵 大谷プール(1934・8〜1999・2)」…
約65年の歴史、戦前に造られた日本有数の名門プールでした…
〈参 考〉
(C)西日本新聞社
福岡国体の水泳会場に使用された『八幡製鐵 大谷プール』(1948年)
開会式には、高松宮殿下およびGHQ師団長スミス少将が来席した…
(C)西日本新聞社
同国体3日目『八幡製鐵 大谷プール』で、当時“フジヤマのトビウオ”と呼ばれた
古橋廣之進(日本大学)が世界新記録樹立(1948年)…
※社会人・学生対抗300m自由形 3分20秒8
(C)毎日新聞社
『八幡製鐵 大谷プール』で遊ぶ子供たち(1953年)
なお、後方の飛び込み台は福岡国体の飛び込み競技にも使用された…
(C)1958 松竹株式会社
1958年公開の松竹映画「この天の虹」に出てくる『八幡製鐵 大谷プール』…
(C)1958 松竹株式会社
同じく『八幡製鐵 大谷体育館(初代)』…
「この天の虹」に出てくる昔の北九州
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