宇島鉄道跡と唐原天満宮
福岡県築上郡上毛町(こうげまち)の
宇島鉄道(うのしまてつどう)の廃線跡に寄りました…
宇島鉄道は、約80年前に廃止された軽便鉄道です…
(宇島駅ー耶馬渓駅間/12駅)
廃線跡は現在、地域の生活道路になっています(宇島方面)…
地元では、いまだ“線路の土手”と呼ばれてるとのこと…
東九州道が開通して、廃線跡は途中で分断されています(耶馬溪方面)…
耶馬溪方面 百留(ひゃくどめ)駅跡近くにある
「百留横穴墓群(ひゃくど“み”おうけつぼぐん)」…
地元では、“百穴(ひゃっけつ または ひゃくあな)”と呼ばれています…
その森に鎮座する「唐原天満宮(とうばるてんまんぐう)」を参詣…
(もしかしたら、福岡県内で太宰府から一番遠い天満宮かも???)
本殿横にある菅原道真公 御腰掛の石「御玉居石(おんたまおるいし)」…
樹齢約180年の御神木「梛(なぎ)」…
※表示は大平村のまま(2005年、大平村と新吉富村が対等合併して上毛町に)
天満宮
祭神 菅原道真 例祭 4月24日
お宮の起こり
昌泰4年(西暦901年)菅原道真公は藤原時平の讒訴によって筑前太宰府の太宰権師に左遷された。翌延喜2年(902年)道真公は代々宇佐八幡宮の社職をしている薬丸有頼の徳風を聞き、豊前国多布原(唐原)の里を訪れ、薬丸家に宿をとられた。そしてこの時道真公は、後世まで当地の人々へかたみ
として法華経を自書して有頼に与えられた。有頼は道真公の心遣いに感涙し菅公の木像を彫刻させてもらったという。翌延喜3年道真公は没し(59才)たが、有頼は道真公の菩提を弔うために石塚をつくり菅公の自筆の法華経を奉納した。これが天満宮前の菅公経塚である。天満宮は後、天暦9年(955年)に建てられた。そして大正12年に新たに再建された。
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