愛新覚羅社 2017
下関市 綾羅木にある『中山神社』を参詣しました…
御祭神の中山忠光卿は、明治天皇の叔父で
“流転の王妃”こと嵯峨 浩(愛新覚羅 浩)は曾孫にあたります…
『中山神社』の境内社として
拝殿のすぐ隣に『愛新覚羅社(あいしんかくらしゃ)』が建立されています…
映画「ラストエンペラー」でおなじみの清朝最後の皇帝(後の満州国皇帝)
愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら・ふぎ)の弟である
愛新覚羅 溥傑(あいしんかくら・ふけつ)が御祭神として祀られています…
御祭神
愛新覚羅 溥傑(あいしんかくら・ふけつ)命
愛新覚羅 浩(あいしんかくら・ひろ)命
愛新覚羅 慧生(あいしんかくら・えいせい)命
愛新覚羅社 由来記
愛新覚羅家は中国大陸清朝の直系にて、溥傑命は清朝最後の皇帝宣統帝(後に満州国皇帝)となられた溥儀皇帝の弟君であります。溥傑命は日本の陸軍士官学校を恩賜の軍刀を授けられ、又陸軍大学をも卒業された文武両道に優れたお方でありました。戦後は中華人民共和国全国人民代表大会常任委員及び全国政治協商会議常任委員として、中日国交回復及び両国友好に尽力されました。浩命は公家の中でも名門の嵯峨侯爵家の長女として誕生され、日本国と満州国とを結ぶ親善結婚として溥傑命に嫁がれたのであります。しかし戦後は満州国の崩壊、逃避行、文革の嵐と様々な経過を辿られ、まさに昭和史いや世界史を一気に走り抜けたお方でありました。慧生命は溥傑命と浩命の長女として誕生され、名前は溥傑命がお付けになられました。学生時代中日両国の架け橋として自ら中国語を学び、周恩来首相に直接父親と一緒に暮らしたいと訴えた手紙を出され、その事が溥傑命の特赦へつながったのであります。しかし運命の成せる業か天城山にて不慮の事故に遭遇されたのでありました。以上愛新覚羅家三柱を青松不断の地に奉祀し、大陸に向い中日両国の友好を永遠に念じつつ御霊は安く穏いに鎮り給える。
愛新覚羅 系図
石碑の系図がわかりにくいので各種資料を参考に作成してみました…
(間違いがあればご指摘ください… 修正いたします)
社名柱の裏側…
福永家(嫮生嫁ぎ先)・嵯峨家(浩の実家)により寄贈されたもの…
もうひとつの境内社『祖霊社』… 光の感じが神秘的な場所です…
〈参 考〉
(C)NHK
溥傑と浩が結婚式直前に撮影した写真(昭和12年)…
浩の母方の実家、濱口邸(現タイ王国大使館)にて…
(C)2003「流転の王妃・最後の皇弟」製作委員会
溥傑と浩の国を越えた激動の物語は
2003年にテレビ朝日開局45周年記念「流転の王妃・最後の皇弟」として
ドラマ化され、2夜連続で放送されました…
戸畑区の『旧松本家住宅(西日本工業倶楽部)』でロケが行われ
浩の実家“東京・嵯峨邸”として登場します…
「流転の王妃・最後の皇弟」に出てくる旧松本家住宅
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