閉山50年 旧大辻炭礦 山神宮跡(再訪)
3年程前に途中断念した「神社の廃墟」と言うべき
八幡西区香月にある『旧大辻炭礦 山神宮』跡を再訪しました…
通称「ぼた山通り」沿いの小山にある雑草に覆われた石段…
ここが参道入口です…
前回無かった倒木が道を通せんぼ… 荒廃がさらに進んでいます…
神額は『山神宮』…
(やま・じんぐう)(さん・じんぐう)(やまのかみ・ぐう)
ここ旧大辻炭礦での正式な読み方は、いまだにわかりません…
全国各地の炭礦には『山神社』または『山神宮』という名称で
大山積(おおやまづみ)神を祭神とした神社が建立され
通称「山の神(やまのかみ)」と呼ばれる守り神が存在していました…
大辻炭礦 山神宮
従来「杉守神社」を炭礦の守護神とし、ことあるごとに参拝していたが昭和九年十一月三日大辻炭礦に山神社を建立して炭礦の守護神としたので、従業員の間に敬神崇祖の念が生まれた。(大辻炭礦七十年史より)
神社の建立主はもちろん「貝島家」です…
※貝島嘉蔵(貝島太助の三弟)
※貝島百吉(貝島太助の長弟文兵衛の女婿)
石段をのぼり終えると、前回、足場不安定で引き返した場所に到着…
こちらの鳥居には三名が…
※貝島榮四郎(貝島太助の次男で六太郎本家養嗣子)
※貝島健次(貝島太助の三男で嘉蔵本家養嗣子)
※貝島太市(貝島太助の四男)
乗っかてたと思われる石柱は、石段下に転がってました…
近くに埋まってる灯籠の屋根部分(?)と関係あるのかも…
御魂抜き後、本社である「杉守神社」に合祀されたとのこと… 安心(^-^)v
〈参考〉『山神宮』鳥居と本殿風景/昭和28年(大辻炭礦七十年史より)
大辻炭礦が閉山して今年で丁度50年…
当時は、会社主催の安全祈願祭など各種神事も行われていたことでしょう…
炭礦という死と直結している環境
多くの炭礦マンおよびその家族が折々に参拝していたことは想像できます…
50年間止まった場所、往時を知らない身ですが寂しくなりました…
大辻炭礦(炭砿・炭鉱・炭坑)
「安川家」「麻生家」と並ぶ筑豊御三家のひとつ「貝島家(貝島太助)」が、明治29年に遠賀郡香月村(現八幡西区香月)の香月炭礦を買収したことが始まりです。初期の正式名称は『貝島鉱業株式会社 大辻炭礦』。昭和43年に閉山しました。ホッパーをはじめ、多くの採掘施設はすでに解体されています。
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