閉山50年 旧大辻炭礦 山神宮跡(再訪)

3年程前に途中断念した「神社の廃墟」と言うべき
八幡西区香月にある『旧大辻炭礦 山神宮』跡を再訪しました…

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通称「ぼた山通り」沿いの小山にある雑草に覆われた石段…
ここが参道入口です…

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前回無かった倒木が道を通せんぼ… 荒廃がさらに進んでいます…

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そして、鬱蒼とした木々に埋もれた「一の鳥居(現状での)」…

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神額もわかりにくい状態です…

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神額は『山神宮』…
(やま・じんぐう)(さん・じんぐう)(やまのかみ・ぐう)
ここ旧大辻炭礦での正式な読み方は、いまだにわかりません…

全国各地の炭礦には『山神社』または『山神宮』という名称で
大山積(おおやまづみ)神を祭神とした神社が建立され
通称「山の神(やまのかみ)」と呼ばれる守り神が存在していました…

大辻炭礦 山神宮
従来「杉守神社」を炭礦の守護神とし、ことあるごとに参拝していたが昭和九年十一月三日大辻炭礦に山神社を建立して炭礦の守護神としたので、従業員の間に敬神崇祖の念が生まれた。(大辻炭礦七十年史より)

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わかりにくいですが「昭和九年十一月三日建之」…

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神社の建立主はもちろん「貝島家」です…
※貝島嘉蔵(貝島太助の三弟)
※貝島百吉(貝島太助の長弟文兵衛の女婿)

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鳥居を抜けると幅広の石段があります…

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石段をのぼり終えると、前回、足場不安定で引き返した場所に到着…

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さらに進むと、突き当たりに何かの台座跡が…

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何が乗っかてたんだろ… もしかしたら井戸???

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そこを折り返し、緩やかな傾斜を登って行きます…

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すぐに新たな石段と鳥居が現れます…

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これも何だろ… 灯籠の屋根部分が埋まってる???

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前回、下から視認だけしていた「二の鳥居(現状での)」です…

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まるで現役のように綺麗な状態の神額…

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こちらの鳥居も同日「昭和九年十一月三日建之」…

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こちらの鳥居には三名が…
※貝島榮四郎(貝島太助の次男で六太郎本家養嗣子)
※貝島健次(貝島太助の三男で嘉蔵本家養嗣子)
※貝島太市(貝島太助の四男)

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灯籠の台座かなぁ(灯籠はなし)…

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反対側はさらに下部台座のみ…

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乗っかてたと思われる石柱は、石段下に転がってました…
近くに埋まってる灯籠の屋根部分(?)と関係あるのかも…

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ほぼ森と化した境内全景…

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たぶん狛犬用の台座(狛犬はなし)…

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そして、お目当ての噴水跡…

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洋風デザインに新鮮な驚きと違和感…

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洋風造りの施設がもう一つ… 手水舎跡???

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最後にメインである本殿跡… ここも台座だけが残っています…

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御魂抜き後、本社である「杉守神社」に合祀されたとのこと… 安心(^-^)v

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〈参考〉『山神宮』鳥居と本殿風景/昭和28年(大辻炭礦七十年史より)

大辻炭礦が閉山して今年で丁度50年…
当時は、会社主催の安全祈願祭など各種神事も行われていたことでしょう…
炭礦という死と直結している環境
多くの炭礦マンおよびその家族が折々に参拝していたことは想像できます…
50年間止まった場所、往時を知らない身ですが寂しくなりました…

大辻炭礦(炭・炭鉱・炭坑)
「安川家」「麻生家」と並ぶ筑豊御三家のひとつ「貝島家(貝島太助)」が、明治29年に遠賀郡香月村(現八幡西区香月)の香月炭礦を買収したことが始まりです。初期の正式名称は『貝島鉱業株式会社 大辻炭礦』。昭和43年に閉山しました。ホッパーをはじめ、多くの採掘施設はすでに解体されています。

吉祥寺の藤 2018

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北九州市の元祖藤の名所、八幡西区吉祥寺町の寺院『吉祥寺』へ…
(撮影日2018年4月18日・20日)

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八幡東区『河内藤園』は広域、こちらは地元対象って感じです…
(吉祥寺を建立した鎮西上人の像)

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創建は約800年前(鎌倉時代)…
今年は例年に比べ10日程、藤の開花が早いらしい…

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境内を覆い尽くす「吉祥寺の大藤棚」…
早朝なら参拝者も少なく、待てば藤だけを撮影するタイミングがあります…

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メインの紫野田藤は、この日七分咲き…
なんとなく例年より花付きが悪く、藤自体が弱っている印象…

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普段は開花遅めの紅藤も結構咲いていました…

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棚の上から見た白藤…

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「紅葉の森」のカエデの新緑もきれいです…

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寺院『吉祥寺』に隣接する市立公園『吉祥寺公園』メインゲート…

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ゲート上の藤は元気に咲いていました…

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ゲート横にある白い花は、なんじゃもんじゃの木(ヒトツバタゴ)??

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台上の「公園の大藤棚」は三分から五分咲きって感じかな…

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「展望台」3階から見た眺め…

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新設駐車場にある現地案内板…

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NHKやRKBニュースでも説明してましたが
お寺の名前は『吉祥寺(きちじょうじ)』
地名が『吉祥寺(きっしょうじ)』が正解のようです…

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と言うことは ↑コレ 道路標識『吉祥寺 Kisshoji Temple』は間違ってる…

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いつものように最後は境内に戻って
名物「吉祥寺ふじソフト」を購入… 税込300円也

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さらに『吉祥寺』からクルマで約5分、八幡西区香月にある寺院『聖福寺』…

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こぢんまりとした境内ですが、開創は奈良時代という古刹です…

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ここにも小さな藤棚があります…

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訪れる人がいない分、ゆっくりと藤を観賞…

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『吉祥寺』の帰路に寄るのに丁度良い場所です…

小倉城 お堀の水抜き

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小倉のシンボル『小倉城』お堀の水抜きを見に行きました・・・
対象の堀は、現在『小倉城』にある5つの堀(1つは空堀)のうち
天守台に面した一番おなじみの内堀です…

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(C)国立公文書館デジタルアーカイブ(部分・加工・回転)
「豊前国小倉城絵図(1644年)」にも同じカタチでちゃんと描かれています…

2018年2月24日

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水抜きの目的は、『小倉城』天守閣を支える天守台石垣の調査…
内堀の約4,400トンの水を抜きます…

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上に乗っかる天守閣(復興天守)に何ら価値はありませんが
天守台石垣は、約400年前の築城当時のものです…

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水位はかなり下がっていますが、この時はまだ完全に抜けてませんでした…
思ったより、浅かったです(水深1.6m)…

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昔は、蓮や水草で埋め尽くされていた印象…

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たぶん、取水をしている小熊野川(紫川支流)とつながっているポンプ設備…

2018年3月10日

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2週間後に再訪… 水は完全に無くなっていました…

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小型重機で何やら作業中… すごく水臭いです…

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堀の中から、絶滅危惧種のニホンウナギが見つかったとのこと…
さらに旧日本陸軍の小銃用薬きょう85個も…
(マスコミがワザと誤解をまねくような報道をしたせいで、さすが修羅の国と言われる始末)

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石垣の近くで何か穴を掘っていました…

2018年3月14日

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4日後に再訪… 看板が一つ追加されています…
石垣調査以外に堀底の工事も兼ねているようです…

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石垣近くで掘削されていた穴も随分大きくなっています…

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当初、緑色だった堀の中にあった部分も白く乾いています…

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なんか不思議な光景…

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石垣の面積が増えてお城がグンと大きく見えます…

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本丸から見た発掘風景…

2018年3月17日〈現地説明会〉

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現地で「小倉城天守台跡 現地説明会」が開催されました…

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佐藤 埋蔵文化財調査室長のわかりやすい説明…

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当日、特別に堀の中へ入ることができました…
二度と見られない、堀から見た「リバーウォーク北九州」…

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こんな角度で『小倉城』を撮れるのもこの時だけ…

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石垣に黒く残る過去の水位跡…

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堀の中から現れた大きな石垣…
土台がどこまで地下に続いているかは、わからないらしい…

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新たな発見として、石垣下部から見つかった湧水…

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まだ掘り出されていない一部が焼けた木材…

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約180年前に焼け落ちた天守閣の部材と思われるもの…

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同じく瓦もたくさん…

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藩主 小笠原家の家紋「三階菱」が入った軒丸瓦…

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豊臣家ゆかりの「桐文」鬼瓦など
すぐに水没したためか比較的状態の良い瓦も多数…

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藩主 小笠原家の「三階菱文」…

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前藩主 細川家の「九曜文」鬼瓦…

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〈参 考〉三階菱文(小笠原家)と細川九曜文(細川家)…
※資料を参考に、イラレで描き起こしましたので保証できません

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発掘数は1,000点余り… 戦国時代のものと思われるものもあります…

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和釘…

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しっくい…

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陶磁器の破片や金色のキセルも…

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上級家臣のものと思われます…

小倉城とは
近世小倉城は慶長7年(1602年)、初代小倉藩主細川忠興により築城され、その子忠利があとを引き継ぎましたが、寛永9年(1632年)、細川家が熊本に移ったため、小笠原家が播磨国明石より入城し、忠真以下10代の藩主がこの地を治め明治維新を迎えました。小倉城郭は、紫川左岸のもっとも高い場所に天守閣と本丸をおき、二ノ丸、三ノ丸、城下町をそれぞれ内堀、中堀、外堀の石垣や土塁で囲う総構の城で、豊前国を支配する要の城としての役割を果たしました。
当時の天守閣について
小倉城の天守閣は、今ある復興天守と異なり、四角い箱を積み重ねた形の「層塔型天守」と呼ばれるものでした。天守閣の高さは、25m近くもあり(ほぼ松本城と同等)、日本の城の中でも上位に位置しており、一階の広さは豊臣秀吉の大坂城よりはるかに大きかったとも言われています。(発掘ニュース第82号より)
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小倉城天守閣の本来の姿(層塔型天守は各階とも屋根が四方にとりつく)

福聚寺の紅葉 2017

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紅葉の名所として知られる
小倉北区の古刹『広寿山 福聚寺(こうじゅさんふくじゅじ)』…
「もみじ祭り」期間中に訪れました…

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事実上の参詣者入口として使われる駐車場横の「裏門(山門)」…

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天にそびえる立派な大銀杏が目印です…

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瓦には、小倉藩主 小笠原家の菩提寺の証しである家紋「三階菱」…

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境内の灯籠も落葉に埋もれています…

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フォルムが美しい「鐘鼓堂」…

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「鐘鼓堂」前の手水鉢…

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中国風建築様式の「仏殿(本堂・釈迦堂)」…

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後背の「足立山」の紅葉を借景に…

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朱色鮮やかユーモラスな「魚板(開梆)」…

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紅葉のピークは過ぎてるようです(2017年12月1日撮影)…

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「鐘堂」…

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「不二門」を裏側から…

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現地案内板…

広寿山 福聚寺(こうじゅさんふくじゅじ)
黄檗宗の名刹、広寿山福聚寺は小倉小笠原藩の初代藩主・小笠原忠真が同家の菩提寺として創建したもので、開山は中国僧の即非如一(隠元の高弟)である。二代藩主・忠雄の時代の延宝7年(1679)寺地を現在地に改め、七堂伽藍を配置した堂々たる寺院を造営した。寺領は寛文9年以降三百石であったが、享保元年(1716)百石を加増された。慶応2年(1866)第二次長州征討小倉口の戦いで諸堂の大半を消失したが、中国風の建築様式を伝える仏殿(通称本堂。享和2年再建)をはじめ不二門、鐘楼などになお昔日の面影をとどめている。境内には初代忠真・永貞院夫妻、二代忠雄、八代忠嘉、九代忠幹の廟所のほか、開祖即非、二代法雲の墓があり、さらに放生池や座禅石などが樹林の中に点在して、自然の景観と歴史的環境がよく調和している。なお、当寺には黄檗美術品が多数所蔵されており、その中の数点が県有形文化財に指定されている。

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境内全図…
なお「小笠原家墓所」は別ルートになります…

吉祥寺藤まつり 2017

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ゴールデンウィークの風物詩“藤まつり”開催中の
八幡西区吉祥寺町(きっしょうじまち)の寺院『吉祥寺(きちじょうじ)』へ…
(撮影日2017年4月28日)

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最近は、国際的になった八幡東区『河内藤園』の影に隠れ気味ですが…
(吉祥寺を建立した鎮西上人の像)

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北九州市内の藤の名所と言えばここでした(無料だし)…

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境内の「大藤棚」…
アサイチなら参拝者も少なく、藤だけを撮影することができます…

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藤漏れ日(?)が眩しいくらい… クマバチもたくさん飛んでます…

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メインの紫野田藤は、ほぼ満開…

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白藤と…

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紅藤はいつものように満開時期は少し後…

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「大藤棚」の上は、一面グリーンです…

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『吉祥寺』に隣接している市立『吉祥寺公園(きっしょうじこうえん)』メインゲート…

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『吉祥寺公園』には、三重塔のような「展望台」と「公園大藤棚」があります…

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「公園大藤棚」の紫野田藤は『吉祥寺』から一部接ぎ木したもの…

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「展望台」3階から見た眺め…

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陽当たりが良いのか、こちらの藤はややピークを過ぎた感じです…

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境内に戻って、名物「吉祥寺ふじソフト」を購入… 税込300円也

小倉城の夜桜 2017

ご存知のように今年(2017年)の桜は
満開時に天候に恵まれず、皆さん曇天の元でのお花見となりました…
マチナカの身近なお花見スポット、夜の『小倉城』へ行ってみました…

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夜間ライトアップされて、眩しいくらいキレイ…

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先日、やっと「続日本100名城」に選定されました…
「続〜」だけど、とりあえず良かった…
※前回の「日本100名城」は史実に基づいた復元でないとして落選

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もし可能であれば、史実通りにリニューアルしてほしいな…

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桜とお城… この角度が一番の撮影スポットになってます…
(ただ、照明が明るすぎて白飛びしやすいです)

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城内は、まっすぐ歩けないくらい人多し…
特に外国人観光客(韓国・中国・台湾etc)が目立ちます…

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帰りに『リバーウォーク北九州』側から…

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個人的に『小倉城』が一番カッコ良く見える場所です…
誰もいないけど…

愛新覚羅社 2017

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下関市 綾羅木にある『中山神社』を参詣しました…
御祭神の中山忠光卿は、明治天皇の叔父で
“流転の王妃”こと嵯峨 浩(愛新覚羅 浩)は曾孫にあたります…

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決して広くは無いけど厳かな雰囲気が漂う境内…

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『中山神社』拝殿…

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『中山神社』の境内社として
拝殿のすぐ隣に『愛新覚羅社(あいしんかくらしゃ)』が建立されています…

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映画「ラストエンペラー」でおなじみの清朝最後の皇帝(後の満州国皇帝)
愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら・ふぎ)の弟である
愛新覚羅 溥傑(あいしんかくら・ふけつ)が御祭神として祀られています…

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御祭神
愛新覚羅 溥傑(あいしんかくら・ふけつ)
愛新覚羅 浩(あいしんかくら・ひろ)
愛新覚羅 慧生(あいしんかくら・えいせい)
愛新覚羅社 由来記
愛新覚羅家は中国大陸清朝の直系にて、溥傑命は清朝最後の皇帝宣統帝(後に満州国皇帝)となられた溥儀皇帝の弟君であります。溥傑命は日本の陸軍士官学校を恩賜の軍刀を授けられ、又陸軍大学をも卒業された文武両道に優れたお方でありました。戦後は中華人民共和国全国人民代表大会常任委員及び全国政治協商会議常任委員として、中日国交回復及び両国友好に尽力されました。浩命は公家の中でも名門の嵯峨侯爵家の長女として誕生され、日本国と満州国とを結ぶ親善結婚として溥傑命に嫁がれたのであります。しかし戦後は満州国の崩壊、逃避行、文革の嵐と様々な経過を辿られ、まさに昭和史いや世界史を一気に走り抜けたお方でありました。慧生命は溥傑命と浩命の長女として誕生され、名前は溥傑命がお付けになられました。学生時代中日両国の架け橋として自ら中国語を学び、周恩来首相に直接父親と一緒に暮らしたいと訴えた手紙を出され、その事が溥傑命の特赦へつながったのであります。しかし運命の成せる業か天城山にて不慮の事故に遭遇されたのでありました。以上愛新覚羅家三柱を青松不断の地に奉祀し、大陸に向い中日両国の友好を永遠に念じつつ御霊は安く穏いに鎮り給える。

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愛新覚羅 系図
石碑の系図がわかりにくいので各種資料を参考に作成してみました…
(間違いがあればご指摘ください… 修正いたします

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扁額や社名柱の揮毫は、溥傑によるもの…

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賽銭箱の神紋… 愛新覚羅家の紋章???

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社名柱の裏側…
福永家(嫮生嫁ぎ先)・嵯峨家(浩の実家)により寄贈されたもの…

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白雲木の歴史…

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もうひとつの境内社『祖霊社』… 光の感じが神秘的な場所です…

〈参 考〉

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(C)NHK
溥傑と浩が結婚式直前に撮影した写真(昭和12年)…
浩の母方の実家、濱口邸(現タイ王国大使館)にて…

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(C)2003「流転の王妃・最後の皇弟」製作委員会
溥傑と浩の国を越えた激動の物語は
2003年にテレビ朝日開局45周年記念「流転の王妃・最後の皇弟」として
ドラマ化され、2夜連続で放送されました…

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愛新覚羅 溥傑(竹野内 豊)
愛新覚羅 浩(常盤 貴子)

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戸畑区の『旧松本家住宅(西日本工業倶楽部)』でロケが行われ
浩の実家“東京・嵯峨邸”として登場します…
「流転の王妃・最後の皇弟」に出てくる旧松本家住宅

小倉城 天守閣 2017

今年初訪問の小倉北区『小倉城』…
いつの間にか石垣がキレイに除草されていました…
(石垣除草前)小倉城 天守閣
(天守閣内部)小倉城の「迎え虎」「送り虎」

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『小倉城』の顔である東面 正面…
石垣の石は、主に足立山から切り出したもの…

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堀を入れた一番大きく見える定番のアングル…
(ただ、城郭マニアには相手にされていない史実無視の観光用復興天守なのですT-T)

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“南蛮造り”は、カッコイイんだけど
できれば飾り破風(はふ)を外した本来の姿で復興して欲しかったな…

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お隣の『八坂神社(旧北の丸)』の鳥居越しに…

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向かいの『小倉城庭園』入口付近から… ここ時代劇のロケができそう…

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北面(リバーウォーク北九州側)… ここの順光はいつなんだろ???

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城の正門“大手門跡”から見える天守閣…

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南面 正面… 桜の時期はキレイです…
(西面はこの時間帯は完全逆光なのでキャンセル…)

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本丸側から…
(天守閣から出てる配管の束、どうにかできないのかなぁ…)

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〈資料〉『小倉城(勝山城趾)』本丸天守台の絵葉書(1937年)…

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近代建築『リバーウォーク北九州』『小倉DCタワー』と共に…

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『小倉城 歴史の道』周辺は、観光バスの駐車スペースになっています…

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北九州市役所 最上階「ふれあい展望室」より…

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天守閣5階から見た『小倉城庭園』…

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晴天のこの日、『小倉城』を撮影している日本人は私くらい…
ほとんどが外国人観光客(韓国・中国・台湾etc)でした…

和布刈神社 2017

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天気が良かったので、九州最北端の地
門司区の『和布刈(めかり)神社』を参詣しました…

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“和布刈神事”を絵柄にした顔出しパネル…

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こぢんまりとした明るい境内…

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拝殿横にある鳥居…

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2つの鳥居と関門橋の不思議な光景…

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カッコイイ感じの狛犬たち…

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拝殿 正面…

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拝殿 斜めから…

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FUKUOKA DEEPS Instagramフォトコンテスト3等賞
鳥居の先は、大型船が航行する関門海峡…

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関門海峡(早鞆ノ瀬戸)へ通じる階段…

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“和布刈神事”が行われる場所…
(丁度、この訪問日の早朝に“和布刈神事”が行われました)

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『和布刈砲台跡』の石碑と、境内社『恵美須社』『早鞆稲荷』…

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境内にある日本料理『枕潮閣(ちんちょうかく)』…
かつて映画「釣りバカ日誌10」のロケ地にもなりました…

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和布刈神社
九州最北端に位置するこの神社は、社記によると、仲哀天皇9年に比賣大神、日子穂々手見命、鸕鷀葺不合命、豊玉日賣命、阿曇磯良神の五柱の神を祭神として創建され、江戸時代までは、速人社とか隼人社と呼ばれていました。 近世末までは、時の領主である大内氏、毛利氏、細川氏、小笠原氏の崇敬庇護厚く、神殿前には細川忠興公が寄進した灯篭があります。 この神社には古くから和布刈神事が伝えられていますが、李部王記によれば、和銅3年(710)に和布刈神事のわかめを朝廷に献上したとの記録があり、奈良時代から行われていたものです。 神事は、毎年旧暦大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に行われます。3人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入り、わかめ刈り採って、神前に供えます。 わかめは、万物に先んじて、芽をだし自然に繁茂するため、幸福を招くといわれ、新年の予祝行事として昔から重んじられてきたものです。 神事のうち、わかめを採る行事は、県の無形民族文化財に、また、当神社に伝存する中世文書9通は、市の有形文化財に指定されています。

高見神社 2017

「官営八幡製鐵所」ゆかりの八幡東区『高見神社』…
久しぶりに参詣しました…

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三条橋にある社名柱…

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第一石鳥居の先に駐車場があります…

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正式な高の字は“はしごだか”…

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御社名 高見神社
鎮座地 北九州市八幡東区高見1-1-1
御祭神 十九柱
御由緒
当高見神社は神功皇后の親しく奉斎せられし神社と伝えられ、近郷高見神社の本宮なり。 創め洞海湾岸、八幡村大字尾倉字高見の高見山 現スペースワールド西側に御鎮座あらせられ、往昔は遠賀・鞍手二郡の郡代役所より奉幣がなされ、御造営等には郡の御備米が其の資に充てられしかば祭礼等一入荘厳なりしと。 然るに官の製鉄所を八幡村に建設するにあたり、境内亦同所用地となりたるため、明治31年9月27日、大字尾倉豊山八幡神社境内北隣に御遷宮あらせられ、爾来37年間同処に鎮り給いし。昭和8年平成陛下御降誕の慶事あり。適と日本製鉄株式会社創立にあたり、多年の希望たりし、神社奉斎の実現を期する絶好の機会なるに、八幡製鉄所並同従業員及崇敬者一同は旧の御縁故により当神社を守護神として斎祀し奉ることを決し、許を得て昭和10年7月6日を卜し、其の名も由緒深き当処に御遷座を仰ぎたり。

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拝殿までの階段は計3箇所…

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第二檜鳥居に扁額はなく、“丸に違い鷹の羽”の神紋が付いています…

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手水舎…

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神門(回廊)… 最後の階段は少し急です…

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青空に映える幟(のぼり)…

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拝殿 正面…

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造形的にも美しい…

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空しか見えない境内…
後背の鎮守の杜が別世界感を演出しています…

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神楽殿…

Takamishrine17
社務所には『高見神社』らしい“鐵の玉”のお守りがあります…

Takamishrine03
御神水“天の眞名井(あめのまなゐ)”…
地下55mより汲み上げた天然水だそうです… 鉄の味がします…

プロフィール

  • Captainharlock

    isa
    北九州市小倉生まれ…
    八幡西区在住。アラフィフ也。ブログはちょっとマニアックに興味あるものだけをゆる〜く更新中(現在はコロナ禍により更新ストップ中)。旅カメラ片手に北九州市内近郊をウロウロしています。ブログ内画像の無断使用禁止。
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SEIZO WATASE _ KITAKYUSHU

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    (C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    潮風の舞う駅

    JR門司港駅(門司区)

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    Retro Romance -レトロ ロマンス-

    JR門司港駅(門司区)

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    海峡の街~汐風のプロローグ~

    旧大阪商船(門司区)

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    ヴィーナスの煌くとき

    国際友好記念図書館(門司区)

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    ~汐風のくれたキミの歌~

    ブルーウィングもじ(門司区)

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    風と波のコンチェルト

    関門橋/関門海峡(門司区)

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    レンガ色の街

    門司赤煉瓦プレイス(門司区)

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    汐風の街・冬編

    門司駅北口ウォーターフロントプロムナード(門司区)

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    空港の四季〜春編

    北九州空港(小倉南区)

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    空港の四季〜夏編

    北九州空港(小倉南区)

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    空港の四季〜秋編

    北九州空港(小倉南区)

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    空港の四季〜冬編

    北九州空港(小倉南区)

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