カテゴリー「⑰戦争遺跡」の10件の記事

旧かねやす百貨店

現在、小倉にあるデパートはわずか『小倉井筒屋』1店のみ…
かつて小倉には、『小倉玉屋』『小倉そごう(小倉伊勢丹)』以外にも
『かねやす百貨店』というデパートが存在していました…

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小倉北区魚町みかげ通り沿い(旧西鉄北方線・電車通り)…

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現在は、ドラッグストア等が入居しているテナントビル「ワシントンビル」が
『旧かねやす百貨店』でした…

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北面は、アールを取り入れたデパートっぽい当時の面影が残っています…

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屋上にある錆びた鉄骨は「かねやす」マークが設置されていた看板跡…
もちろん、ライバルだった『小倉井筒屋』は現在も営業中です…

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※マークはイラレによる個人トレースのため実際のロゴとは異なります。

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〈資料〉かねやす百貨店 
※画像は昭和14年の絵葉書より
江戸時代の文久年間、小倉にて創業。当初、米穀店であったが、のち慶応年間に「かねやす呉服店」となる。大正9年(1920)、木造4階建てのデパート式経営を始める。昭和11年(1936)、鉄筋7階建ての『かねやす百貨店』となる。しかし、昭和27年(1952)、付近の出火により消失。その2年後に閉店し破産する。

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デパートの定番である屋上稲荷も大切に祀られています…

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そして、後付けしたような立方体の異質な建造物…
上の〈資料〉画像(昭和14年)でも確認できます…

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戦争遺構『防空監視哨』跡…
戦時中、ここで敵機の監視をしていたとのことです…

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長い間、屋上半分を「小倉魚町ワシントン(靴店)」のネオン看板が
設置されていたため、視認することができませんでした…

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隣接ビル解体時に、久しぶりに現れた南面(2011年撮影)…
※現在はパーキングビルが建っているため、見ることができません

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ビル内部です… 外観で特徴的だったアール部分は階段室でした…
※ビル従業員用の喫煙場所として開放されています

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もちろんレトロ感満載ですが、デパートらしいしっかりした造り…

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年代物と思われる消化器(現在はドアストッパーとして使用)…

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防火扉の出入口でしょうか…

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都会のド真ん中なのに、ここだけ時間が止まったような感覚があります…

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当時、この階段を多くの人が行き交っていたことでしょう…

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7階にある丸窓(外観から確認できます)…

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フロアの一角に使われていないレトロなエレベーターが残っています…
デパート当時のものでしょうか…

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数字のフォントがオシャレ… 地階(デパ地下)もあったようです…

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カッコイイUP/DOWNボタン… もしかしたら外国製なのかも知れません…

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(C)魚町商店街振興組合/魚町一丁目商店街振興組合
〈資料〉魚町銀天街 1964年 店舗図 ※クリックで拡大します
閉店から12年後「家具のかねやす」「洋服のかねやす」の名前が確認できます…

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デパート開業、防空監視哨の設置、火災そして閉店破産、テナントビル…
栄枯盛衰の歴史がありました…

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〈資料〉側壁の懸垂幕「感謝(?)」と店頭の花輪の数から見て
新築開店時と思われる「かねやす百貨店」…

門司城跡/古城砲台跡

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門司区「和布刈(めかり)公園」にある『門司城跡』『古城砲台跡』へ…
第一展望台(?)の駐車場から徒歩で登ります…

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登山道の途中にある『門司城』の説明板…

門司城(門司関山城・亀城)
門司城は、最初平知盛が源氏との合戦にそなえて、長門国目代紀井通資に築城させた、といい伝えられている。寛元2(1244)年、下総前司親房が平家残党鎮圧の下知奉行として、鎌倉幕府より豊前国代官職に任ぜられて下向。のち門司六ヶ郷と筑前国香椎院内などを拝領した。親房の子孫は地名により門司氏を称し、門司城を本城に領内に足立・吉志・若王子・三角山・金山の五支城を構えてそれぞれ一族が配置された。門司氏はその後およそ350年にわたって北九州の地に続いた。その間、南北朝時代には門司氏も両派に分かれ、当城には北朝武家方の吉志系門司左近将監親尚が拠り、一方南朝宮方の伊川系門司若狭守親頼は猿喰城に籠り、骨肉の争いもあった。室町時代末になると、門司半島は豊後大友氏と大内氏、大内氏滅亡後はかわって毛利氏が争奪するところとなり当城はその渦中におかれた。ことに大友・毛利両氏による永禄の門司城合戦は壮絶をきわめ、ちなみに『後太平記』には、「昔、源平両家比処にて軍せしも、時こそ替れ是にはよも勝らし」とその戦況を記している。その後の門司城は、城主も入れかわりながら続いたが、細川忠興の豊前入国後の元和元(1615)年、一国一城の令により、およそ400年におよぶその歴史をとじた。

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石垣の跡らしきものがゴロゴロ…

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なんの跡だろ???

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中腹にある戦争遺構『古城砲台跡』の「倉庫跡(らしきもの)」…
※『古城砲台跡』は『手向山砲台跡』と違い、説明板等が全くありません…

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正面から… 入口はふさがれています…

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「倉庫跡」前には階段が2つあり、山頂につながっています…
中央の凹みは何だろ???

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山頂に着くと、目に飛び込んでくる円盤状の偉容な人工物…

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上部は、くり抜かれた状態で、土が堆積しています…

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いろんな向きの階段がいっぱい…

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戦争遺構『古城砲台跡』といわれる施設…
『手向山砲台跡』の「観測所跡」にも似てますが…

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らせん状の階段を下ると先ほどの「倉庫跡」に出ます…

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地中に埋もれた何かの跡…

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印鑑のようなカタチをした大きな物体…

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山頂にある『史跡 門司城跡』の石碑(劉 寒吉 書)… 逆光だぁ(〃∇〃)
※山頂はTBSドラマ「ランナウェイ〜愛する君のために〜」のロケ地でもあります…

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近くに「古城山」の三角点がこっそりありました…

冬の夕暮れ時に訪問… 誰とも会わず…
この時間帯以降の女性ひとりでの訪問は、おすすめできません…
(さらに古戦場跡だし…)

稲童1号掩体壕(えんたいごう)

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梅雨の晴れ間…
行橋市の戦争遺跡『稲童1号掩体壕(いなどう いちごう えんたいごう)』へ…

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駐車場の案内板… ふむふむ…
稲童地区には多くの戦争遺跡が残ってるようです…

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駐車場から徒歩約5分… 畑の先に目的の場所が見えてきます…

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行橋市指定史跡『稲童1号掩体壕』…
現在、史跡公園として整備されています…

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公園の案内板…
“掩体壕”とは軍用機を敵の空襲から守るために造られた格納庫のこと…
戦時中、夜間戦闘機「月光」、陸上爆撃機「銀河」、「一式陸上攻撃機」など
双発機を格納したようです…

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飛行機のカタチをした巨大な構造物…

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天井崩落の危険があるためか、現在内部には入れません…
※柵越しの撮影になります

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上部壁面には機銃掃射の弾痕らしきものが…???

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また、駐車場から掩体壕の逆方向に徒歩約10分…
同じく戦争遺跡『地下通信指令部壕』があります…

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雑草が深く危険なので、ここは退却しました…

富野堡塁跡 × 望玄荘

小倉北区の老人ホーム『望玄荘(ぼうげんそう』近くにある
戦争遺構『富野堡塁(ほうるい・ほるい跡』へ行ってみました…
以前から気になってた場所のひとつです…

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小文字山を背景に高台に建つ 軽費老人ホーム『望玄荘』…
私が子供の頃には有名なランドマーク的ホテルでした…

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うろ覚えですが、ホテル時代に大浴場に入った記憶もあります…
(今もあるのかな???)
※そう言えば昔、中学か高校の修学旅行で、担当した他県のバスガイドさんが
 自身の修学旅行でここに宿泊したことがあると言ってたなぁ…

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で、その『望玄荘』のすぐ横…
手入れのされてない森の中に今回の目的の場所があります…

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何か遺跡のようなもの…

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しばらく歩くと草木に呑み込まれそうになってる石段が…
石積みがきれいです…

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その先の開けた広場に到着…
コの字形の倉庫群… 戦争遺構「富野堡塁跡」です…
(竣工は明治22年とのこと)

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その倉庫群の向かい側にも
草木と同化しつつある石段の痕跡があります(わかりにくいですが)…

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時間が止まった空間… 地面は柔らかく湿地帯のような雰囲気…
右奥に『望玄荘』の一部が見えます(ほんとにすぐ横)…

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倉庫の入口はすべてブロックで塞がれています…
以前訪れた戦争遺構「手向山砲台跡」を思い出します…
手向山砲台跡

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さらに一番奥にはツタが絡まった3つ目の石段がありました…
明治時代にどんな人がここを歩いてたんだろう…
(8門あったとされる砲台跡への階段か)

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早くこの場所から離れたい… なぜかそんな気分になります…
(近くにイノシシ捕獲用の檻も設置されています×_×)

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最後に森を出て『望玄荘』の駐車場に戻ります…
そこにも飛び地のように一つだけ倉庫跡が残っていました…
来訪者のほとんどは戦争遺構と知らずに駐車してるんだろうなぁ…

手向山(たむけやま)砲台跡

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宮本武蔵ゆかりの「手向山(たむけやま)」…
門司区と小倉北区の境にあります…

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ここに明治時代の砲台の跡が残っています…

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地図部分を拡大…

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地図では“火薬倉庫”となっていますが
麓近くにある「電灯所(火力発電所)」跡…

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山の中腹に「探照灯(サーチライト )台座」跡があります…

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「探照灯(サーチライト )台座」跡
円形状の煉瓦積みがきれいです…

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目標となる地名が刻まれています…
※矢筈山(門司)・大里・古城山・興次兵ヱ燈台・火ノ山・鳴瀬燈台・
 田の首村(彦島)・筋山・竹の子島・名古屋岬(戸畑)・小倉・防波堤など

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「探照灯」施設へ通じる道…

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「探照灯」近くにある謎の2種類の石柱… 説明板なし

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山頂にある「砲台倉庫(弾薬庫)群」
第一号から第五号まであります… (写真は第一号倉庫)

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第四と第五号倉庫の間には階段があります…
砲台へ通じていたと思われます…

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第五号倉庫の入口はほとんど地中に埋まっています…

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至る所に人工物を見つけることができます…

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倉庫上部にある石の蓋???

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東端の展望台の眼下に侵入不可の開けた土地が見えます…
地図にある東側の「観測所」跡かも知れません…

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山頂から少し下ったところに扇状の巨大な人工物…
西側の「観測所」跡があります… ここも説明板なし

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「探照灯 台座」跡にも似た円形… 謎の石柱…
円の内側に半球状の窪みがあります…

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「観測所」下部には階段や倉庫(?)もきれいな状態で残っています…

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「観測所」へ通じる階段と倉庫(?)跡…

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倉庫(?)橫の謎の施設… 使用用途不明

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「観測所」近くの遊歩道にある側溝跡…

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排水路らしき跡もあります… 上には何もありませんでした

Musashi
山頂にある「宮本武蔵 顕彰碑(小倉碑文)」
武蔵の養子であった宮本伊織が、1654年に建てたもの…
手向山は元々「宮本家」の所領で麓には墓所もあります…

Kanmon
展望台からは関門海峡が望めます…
中央のタワーは七管の「関門海峡海上交通センター」…

皇后崎公園の高射砲陣地

春は桜の名所でおなじみの八幡西区『皇后崎(こうがさき)公園』
花見をはじめ、散歩やジョギングなど市民憩いの森林公園です…

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「青山市民センター」近くの散策路…
上の画像の右の柵のところに…

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コンクリート製のしっかりした平らな建造物…
戦時中に造られた「高射砲陣地」の基礎が残っています…

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ここの「高射砲(敵機を迎撃するための火砲)」は
八幡製鐵所等 工業地帯を守るために設置されたとのこと…
ほかに「探照灯(サーチライト)」施設も存在してたようです…

メモリアルクロス(国際連合軍記念十字架)

小倉北区の足立山中腹にある『メモリアルクロス』…
正式名称
「UNITED NATIONS MEMORIAL CROSS(国際連合軍記念十字架)」… 
朝鮮戦争(1950〜1953年)で戦死した国際連合軍将兵の霊を慰めるため
当時の駐留米軍小倉師団の司令官ラックス大佐たちによって
1951年に建設されたものです…
以前は小倉市街地からも大きな十字架を確認することができましたが
木々が生い茂り、さらに後方に移築されたことで
最近は影が薄い存在となっています…
近くには、以前ホテルだった「望玄荘(軽費老人ホーム)」があります…

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入口にある石板…

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石板の裏…

この記念碑は米軍小倉師団KGD司令官レイ・T・ラックス大佐、クレアランス・レーシイ中佐、マイクル・J・ワズ二ィ中佐により建設され、日本側に引渡されたものを福岡県並びに小倉・八幡・門司・戸畑・若松の五市相謀って協力、これを改装したものである 1952年9月 ※一部わかりやすく改訂しています

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『メモリアルクロス』に通ずる道…

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階段の上に白い巨大な十字架があります…

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高さ約20m… 朝鮮半島の方を向いて建っていると言う…

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台座の石板… “国際連合軍の倒れた英雄を記念して”

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『メモリアルクロス』向かいの雑木林に謎のモニュメント???
詳細は不明です…

軍艦防波堤 2014

若松区洞海湾の戦争遺構「軍艦防波堤」…
なんと駆逐艦「柳」の設計図が発見されたとのこと…
そのニュースを聞いて久しぶりに訪れてみました…
(前回)軍艦防波堤 2013
(追記)軍艦防波堤 2017

Yanagisekkeizu
駆逐艦「柳」の設計図(艦首部分)※読売新聞より

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軍艦防波堤連絡会ホームページ
上記ホームページより設計図がダウンロード可能になりました…
※わかりやすいように青焼きを反転しました

Kansyu
今回、釣り人が多くて正面から撮影できず… しかもゴミも多かった…

Hesaki
印象的な駆逐艦「柳」の艦首(舳先)部分…

Kanbi
艦尾はコンクリートの中に沈んでいます…
よくこの大きさで地中海まで行ったものです…

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艦尾部分にある設備の痕跡…

Dokai
関係ないけど、洞海湾にある土台みたいなものは何だろう…

Shikichi
駆逐艦「冬月」「凉月」が埋没している企業の敷地…

Gunkangoogle
軍艦防波堤 駆逐艦配置図(再掲)
駆逐艦「冬月」と「凉月」は互いの艦首を向かい合わせて静かに眠っています…
(埋没位置は現地案内板を参考に作成しました・Google Earth の画像を借用)

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出典:国土地理院地図・空中写真閲覧サービスにてダウンロード
〈参考〉まだ「冬月」と「凉月」が確認できる貴重な写真(1948年米軍撮影)…

〈現地ボードより〉 ※画像は複写

駆逐艦「柳(やなぎ)」 大正6年(1917)5月5日竣工
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規 模
基準排水量:755トン
全長:85.85m 全幅:7.74m 速力:31.5ノット
艦 歴
大正06年(1917)5月 佐世保海軍工廠竣工「桃」型二等駆逐艦
大正06年(1917)6月 第二特務艦隊 第15駆逐隊、地中海へ
大正06年(1917)8月 マルタ島到着、英国海軍と共に通商保護作戦に従事
大正07年(1918)3月 仏、輸送船「ラ・ロアール」を救助曳航500名以上を救助
大正08年(1919)6月 横須賀へ帰還
昭和15年(1940)4月 佐世保係留
※除籍 昭和15年4月1日

駆逐艦「凉月(すずつき)」 昭和17年(1942)12月29日竣工
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規 模
基準排水量:2,701トン
全長:132.0m 全幅:11.6m 速力:33.0ノット
艦 歴
昭和17年(1942)12月 長崎・三菱造船所竣工
「秋月」級 超大型防空駆逐艦
昭和18年(1943)04月 第三艦隊 第61駆逐隊
トラック、パラオ、マーシャル群島で護衛任務
昭和19年(1944) 延岡沖で魚雷被弾(1月・10月)
昭和20年(1945)04月 戦艦「大和」を中心とする沖縄特攻「天一号」「菊水」作戦に参加、直撃弾を受けて大破、微速後進で佐世保へ帰還、応急修理の後、防空砲台
※除籍 昭和20年11月20日

駆逐艦「冬月(ふゆづき)」 昭和19年(1944)5月25日竣工
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Fuyuzuki2
規 模
基準排水量:2,701トン
全長:134.2m 全幅:11.6m 速力:33.0ノット
艦 歴
昭和19年(1944)05月 舞鶴海軍工廠竣工
「秋月」級 超大型防空駆逐艦
昭和19年(1944)10月 遠州灘で魚雷被弾
昭和19年(1944)10月 空母「隼鷹(じゅんよう)」を護衛
昭和20年(1945)04月 戦艦「大和」を中心とする沖縄特攻「天一号」「菊水」作戦に参加、諸艦の生存者を救出の後、佐世保に帰還
昭和20年(1945)08月 終戦後、関門港で触雷、博多港で引揚船の支援
※除籍 昭和20年11月20日

〈参 考〉駆逐艦「凉月」の記録

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沖縄特攻作戦で大破した「凉月」… その後、微速後進で佐世保へ帰還(1945年)

Suzutsuki
帰還したのち佐世保・相浦に係留された最終状態の「凉月」(1945年)

〈参 考〉駆逐艦「冬月」の記録

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沖縄特攻作戦での「冬月」… 後部高角砲を発射した瞬間の閃光が見える
奥は戦艦「大和」(1945年4月7日)

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戦艦「大和」の最期… 一番近くの駆逐艦が「冬月」(1945年4月7日)

〈参 考〉プラモデルとして

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プラモデル箱絵「日本海軍秋月型駆逐艦3番艦 凉月1945」(ピットロード)

Fuyuzuki
プラモデル箱絵「日本海軍秋月型駆逐艦8番艦 冬月1945」(ピットロード)

駆逐艦 秋月型同型艦リスト

番号 艦名 よみ 竣工 最終
1番艦  秋 月  あきづき  昭和17年/舞鶴  昭和19年10月25日戦没
2番艦  照 月  てるづき  昭和17年/長崎  昭和17年12月12日戦没
3番艦  凉 月  すずつき  昭和17年/長崎  昭和23年解体(若松防波堤)
4番艦  初 月  はつづき  昭和17年/舞鶴  昭和19年10月25日戦没
5番艦  新 月  にいづき  昭和18年/長崎  昭和18年7月6日戦没
6番艦  若 月  わかつき  昭和18年/長崎  昭和19年11月11日戦没
7番艦  霜 月  しもつき  昭和19年/長崎  昭和19年11月25日戦没
8番艦  冬 月  ふゆづき  昭和19年/舞鶴  昭和23年解体(若松防波堤)
9番艦  春 月  はるつき  昭和19年/佐世保  ソ連に譲渡
10番艦  宵 月  よいづき  昭和20年/浦賀  中華民国に譲渡
11番艦  夏 月  なつづき  昭和20年/佐世保  イギリスに譲渡
(未完成)  満 月  みちづき  昭和20年/佐世保  (未完成)
12番艦  花 月  はなづき  昭和19年/舞鶴  アメリカに譲渡
(建造中止)  清 月  きよつき  昭和19年中止/舞鶴  (建造中止)
(建造中止)  大 月  おおつき  昭和19年中止/佐世保  (建造中止)
(建造中止)  葉 月  はづき  昭和19年中止/舞鶴  (建造中止)
(建造中止)  山 月  やまづき  昭和19年中止  (建造中止)
(建造中止)  浦 月  うらづき  昭和19年中止  (建造中止)

参考出典〉連合艦隊のグランドデザインと戦争の真実「連合艦隊の使い方」

ニコルソン中尉の慰霊碑

「八幡西警察署」横の細い道筋…
「熊西小学校」近くの“熊西緑道”に
『故 R・ニコルソン中尉に捧げる』と銘板のある
鉄のモニュメントがあります…
数年前、テレビニュースで
遺族の方がアメリカから来られ、慰霊祭に参加された…
ようなことを見たような???

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地元の彫刻家 母里 聖徳(ぼりきよのり)氏 作

Nicholsonplate

故 R・ニコルソン中尉に捧げる
平成元年(1989年)4月


Dedicated to the late Lt. Rodney Nicholson

 終戦後間もない昭和22年(1947)11月12日、この地の上空を飛行中の合衆国空軍ロドニー・ニコルソン中尉の搭乗機に故障が発生した。彼は、搭乗機が住宅地に墜落するのを避けるため、機外に脱出できたにもかかわらず、最後まで操縦桿を離さず、近くの三菱化成の空き地に墜落して死亡した。地元は、彼の人道的行為を讃え、昭和23年5月、供養碑を建立した。しかしながらこの碑も都市再開発のために昭和63年8月、取り壊しを余儀なくされた。北九州市と三菱化成は、彼の英雄的行為を永遠に讃えるため、彫刻として残すことにし、地元に住む鉄の彫刻家母里聖徳氏に制作を依頼した。
 ニコルソン中尉の人道的行為は、この彫刻とともに永遠に市民の心のなかに残るであろう。

(追 記)
熊西市民センターのホームページによると
当時、熊西小学校は授業中で、ニコルソン中尉の搭乗機は校舎をかすめ、
校舎の屋根の一部が壊れたそうです…

軍艦防波堤

以前から気になっていた若松区の『軍艦防波堤』…
思い切って行ってみました… 迷いに迷ってやっと到着…

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「響灘ビオトープ」から車で約5分… 0・1号岸壁方面へ…

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現地まで『軍艦防波堤』の案内はなく、見つけたときにはちょっと感動…

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第一印象… 思ったより大きい… やはり軍艦です

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錆び付いた説明板…

軍艦防波堤
この岸壁に出ている船体は、旧日本海軍の駆逐艦「柳」です。戦後間もない昭和23年9月他の駆逐艦「冬月」「涼月」とともに、洞海湾を響灘の荒波から守る防波堤として沈められました。北側の響灘は埋め立てられ防波堤の役割は終わりましたが、今でも「軍艦防波堤」と市民に呼ばれています。「冬月」「凉月」の2艦はこの手前の護岸の中に埋没していますが、この両艦は昭和20年4月「沖縄特攻作戦」の戦艦大和の直衛艦として出撃し大破しながらも奇跡の生還を果した艦です。なお、高塔山中腹にこの3艦の戦没者慰霊碑が建立されており、詳しい説明が書かれております。 

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大和ミュージアム資料提供のボードが設置されています…

Gunkangoogle
軍艦防波堤 駆逐艦配置図
駆逐艦「冬月」と「凉月」は互いの艦首を向かい合わせて静かに眠っています…
(埋没位置は現地案内板を参考に作成しました・Google Earth の画像を借用)

Wakamatsu19481101
出典:国土地理院地図・空中写真閲覧サービスにてダウンロード
〈参考〉まだ「冬月」と「凉月」が確認できる貴重な写真(1948年米軍撮影)…

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艦首(舳先)部分…

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甲板部分はほとんど何も残っていません…

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周囲はコンクリートで防護されています…

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洞海湾の入口… 遠くに若戸大橋が見えます…

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戦争遺構『軍艦防波堤』…
こんな寂しい場所で静かに眠る駆逐艦「柳」… 物悲しさだけが残りました…

SEIZO WATASE _ KITAKYUSHU

  • Wataseseizo_mojiko(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    潮風の舞う駅

    JR門司港駅(門司区)

    Ws01(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    Retro Romance -レトロ ロマンス-

    JR門司港駅(門司区)

    Watase503(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    海峡の街~汐風のプロローグ~

    旧大阪商船(門司区)

    Ws02(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    ヴィーナスの煌くとき

    国際友好記念図書館(門司区)

    Watase501(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    ~汐風のくれたキミの歌~

    ブルーウィングもじ(門司区)

    Kanmonkyo(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    風と波のコンチェルト

    関門橋/関門海峡(門司区)

    Watase504(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    レンガ色の街

    門司赤煉瓦プレイス(門司区)

    Watasewfp(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    汐風の街・冬編

    門司駅北口ウォーターフロントプロムナード(門司区)

    Watase505(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    空港の四季〜春編

    北九州空港(小倉南区)

    Watase502(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    空港の四季〜夏編

    北九州空港(小倉南区)

    Kitakyushuairport(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    空港の四季〜秋編

    北九州空港(小倉南区)

    Kitakyushuap(C)SEIZO WATASE/APPLE FARM Inc.
    空港の四季〜冬編

    北九州空港(小倉南区)

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  • Captainharlock

    isa
    北九州市小倉生まれ…
    八幡西区在住。アラフィフ也。テレビより基本ラジオ派。マイブームは海外ドラマ(ウォーキングデッド、ホームランド)、WOWOW「連続ドラマW」シリーズ。「昭和40年男」が愛読書。ブログはちょっとマニアックに興味あるものだけをゆる〜く更新中(現在は月イチレベル)。旅カメラ片手に北九州市内近郊をウロウロしています。ブログ内画像の無断使用禁止。別ブログ「黒崎そごうメモリアル」。
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