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はじめに

2000年12月25日に閉店した
北九州市八幡西区黒崎の百貨店「黒崎そごう」の21年間の
記録を残したい・・・・そんな気持ちで始めたブログです。
順不同・時系列無視・未確認等お許しください。
                               2004年6月 isa@管理人
(最終更新:本文2006年・追記2016年)

※メモリアル【memorial】:記録・覚書・回想録・年代記の意。
※なお、当ホームページは株式会社そごう・西武およびセブン&アイHLDGS.とは一切関係はございません。
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※内容の保証ができないため、ウィキペディアへの無断引用およびリンクを禁じさせていただきます。ご了承くださいませ。

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黒崎そごうカラーパース画

そごう豆知識

Ihei そごうの起こりは、遠く江戸時代文政年間、大和国十市郡十市村(現在の奈良県橿原市十市町)の「きぬや徳兵衛」の次男「伊兵衛(いへい)」が大阪に出て、天保元年(1830年)に坐摩神社南隣(現在の大阪市東区渡辺町所在)に店を構え「大和屋(やまとや)」と称して古手商(古着商)を始めたのに由来します。初代伊兵衛の長男、二代伊兵衛は、父ゆずりの商才に加えて明治維新の新しい時流を敏感にとらえ、数々の新しい方策を打ち出しました。明治3年に「十合(そごう)」姓を名のり、明治9年には、養子の十合重助に当時の繁華街である大阪市安堂寺橋通り3丁目に呉服店を開業させ、太物(綿織物)を販売しました。明治10年、安堂寺橋通りの店を閉鎖し、大阪市南区心斎橋筋1丁目44番地(現在の心斎橋筋鰻谷角)に新店舗を開き、重助を移り住まわせました。大和屋は古手業を廃業、心機一転の決意をこめて創業以来の屋号「大和屋」をも廃止しました。新しい店には、新しい看板とのれんが掲げられ、それには『現金正札 呉服太物帯地 十合呉服店』と印されていました。「大和屋」は屋号を『十合呉服店(そごうごふくてん)』と改めました。これが心斎橋そごうのスタートとなりました。明治30年(1897年)商号を「十合合名会社」に、明治41年(1908年)「合名会社十合呉服店」に変更しました。心斎橋に進出したそごうは、明治32年(1899年)神戸に支店を開設。大正8年(1919年)には大阪店を改装し、社名も「株式会社十合呉服店」に改め、本格的に百貨店業に乗り出すことになりました。昭和15年(1940年)商号を「株式会社十合」に、昭和44年(1969年)「株式会社そごう」に変更しました。
※画像は店祖「初代十合伊兵衛画像」(久保田米僊 画)
※「そごう(ひらがな表記)」の店名表記は、昭和8年(1933年)、「そごう神戸店」開店の際から
 使われるようになりました。

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十合呉服店 大阪本店 明治38年(1905年)
※ショーウィンドーと軽便車(看板表記順:場本見 品行流 店服呉合十 社会名合)

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神戸元町「安井写真機店」から浜側の「十合呉服店 神戸支店」を撮影
大正2年(1913年)(C)安井光三

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十合呉服店 大阪本店 大正12年(1923年)

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京都博覧会場内 十合呉服店陳列場(明治・大正期)

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左:明治5年(1872年)頃の十合呉服店の引札(ひきふだ=チラシ)
右:明治41年(1908年)、十合呉服店大阪本店の新装開店時に入口両側に掲げられた大看板。銅地に金文字で「十合呉服店」「随意御縦覧」と書かれている。
※黒崎そごうにもこの看板のレプリカがありました。

昭和5年(1930年)そごうは、本店新店舗の設計者に当時新進の建築家「村野藤吾氏(福岡県立小倉工業高校卒)」を起用。一期工事、二期工事の末、昭和10年(1935年)「そごう大阪店」が完成。ちなみに村野氏は、「そごう東京店」も設計しています。

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村野藤吾「そごう(大阪店)」御堂筋側エレベーション
昭和7年(1932年)6月30日※建設は大倉土木(現大成建設)が担当

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村野藤吾「そごうロゴタイプデザイン」※アイデアスケッチ

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本店第一期工事完成 昭和8年(1933年)

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本店第二期工事完成 昭和10年(1935年)

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島野三秋作の黒漆蒔絵模様エレベーター扉

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本店新築開店の新聞広告 昭和10年(1935年)(大阪毎日新聞)
藤川勇造氏の「飛躍の像」をメインビジュアルに使用

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本店第三期工事完成 昭和12年(1937年)

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本店第三期工事完成後の斬新なグラビア新聞広告
昭和13年(1938年)(大阪毎日新聞)

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西側から見たファサード

この村野藤吾氏が設計した「そごう大阪店」の淡い黄褐色のトラバーチンを使った外観デザインが、のちの黒崎そごうをはじめとしたそごうグループ各店の外観デザインに派生しています。


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昭和20年(1945年)3月13日「大阪大空襲」から2日後の
「そごう大阪店」付近の惨状。そごうは、辛うじて被災を免れた。

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昭和21年(1946年)5月1日「そごう大阪店」は、アメリカ進駐軍に「OSAKA PX(軍人・軍属向け物品販売所)」として全店接収され、「OSAKA COMMUNITY CENTER(大阪中央公会所)」と呼ばれる駐留軍施設として利用されることになりました。接収は、昭和27年(1952年)まで6年間も続き、その間「そごう神戸店」と5つの営業所(本部卸商品館・難波店・阿倍野店・全国食品市場・百貨更正デポー)のみでそごうを支えなくてはなりませんでした。その時、接収を解除されたのは「そごう大阪店(OSAKA PX)」と「小倉玉屋(KOKURA PX)」の2店のみでした。

Hiyaku_3 左:そごう大阪店のシンボル「飛躍の像」。高さ210cmのブロンズ像。御堂筋側外壁地上18〜21mに位置。昭和10年(1935年)、日本近代彫刻界の第一人者 帝国美術院会員(二科会名誉会員) 藤川勇造氏 製作。

Maru_2 そごうのロゴマークは「まるにちきり」または「まるちきり」と呼ばれています。「ちきり」は縦糸を巻く織機の付属具で、当初そごうが呉服店(十合呉服店)であったころ、織機にちなんでマークとして使ったものです。また「ちきり」は石材や木材などをつなぐときに用いる堅木の「千切り」に通じ、堅く結びつくことも表わしてます。さらに「まるちきり」は「五」の文字を図案化したもので「りゅうご」とも言われ、形がエンドレスなところが目出たい意味も持ってます。なお、マークの規格は、直径の9分の1をもって、円の太さ(外円および内部)が定められています。
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daliya「ダリア」は躍進そごうの店花。親切・感謝を表します。優美な大輪「デコラティブ咲き」豪華で花首が強く、上向きに咲く「ダリア」はそごうの限りない将来への発展を象徴しています。(しかし倒産してしまいました・・・)
※1967年ストアフラワー「ダリア」を制定


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