はじめに
2000年12月25日に閉店した北九州市八幡西区黒崎の百貨店「黒崎そごう」の21年間の記録を残したい…
手元にある膨大な資料をどうにかできないものか… そんな気持ちで始めたサイトです。
順不同・時系列無視・未確認等お許しください。 2004年6月 isa@管理人(最終更新:2021年8月)
※メモリアル【memorial】:記録・覚書・回想録・年代記の意。
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そごう豆知識 |
〈そごう〉の起こりは、江戸文政年間、大和国十市郡十市村(現在の奈良県橿原市十市町)の「きぬや徳兵衛」の次男「伊兵衛(いへい)」が、天保元年(1830年)に大阪坐摩神社南隣(現在の大阪市東区渡辺町所在)に店を構え「大和屋(やまとや)」と称し古手商(古着商)を始めたことに由来します。初代伊兵衛の長男「二代伊兵衛」は、父ゆずりの商才と明治維新の新しい時流を敏感にとらえ、数々の新しい方策を打ち出します。明治3年に「十合(そごう)」姓を名のり、明治9年には、養子「十合重助」に当時の繁華街である大阪市安堂寺橋通り3丁目に呉服店を開業させ、太物(綿織物)を販売しました。明治10年、安堂寺橋通りの店を閉鎖し、大阪市南区心斎橋筋1丁目44番地(現在の心斎橋筋鰻谷角)に新店舗を開き、重助を移り住まわせます。「大和屋」は古手商を廃業。心機一転の決意をこめて創業以来の屋号「大和屋」をも廃止。新しい店には、新しい看板とのれんが掲げられ、それには『現金正札 呉服太物帯地 十合呉服店』と印されていました。屋号を「十合呉服店」と改めました。これが「心斎橋そごう」のスタートとなりました。明治30年「十合 合名会社」に、明治41年「合名会社 十合呉服店」に商号を変更しました。心斎橋に進出したそごうは、明治32年、神戸に支店を開設。大正8年には大阪本店を改装し、商号も「株式会社 十合呉服店」に改め、本格的に百貨店業に乗り出すことになります。昭和15年「株式会社 十合」に、昭和44年「株式会社そごう」に商号を変更しました。
※肖像画は店祖「初代十合伊兵衛画像」(久保田米僊 画)
※店名「そごう(ひらがな)」表記は、昭和8年(1933年)の「そごう神戸店」開店の際から使われるようになりました。
十合呉服店 大阪本店 明治38年(1905年)
ショーウィンドーと軽便車(看板表記:合名会社 十合呉服店 流行品 見本場)
神戸元町「安井写真機店」店頭から浜側の十合呉服店 神戸支店を撮影
大正2年(1913年) (C)安井光三
十合呉服店 大阪本店 大正7年(1918年)11月竣工
鉄筋混凝土・4階建、建坪180・延坪817、竹中工務店設計

左:十合呉服店 大阪本店 新装開店時に玄関両側に掲げられた銅地金文字大看板「十合呉服店・随意御縦覧」明治41年(1908年)
(黒崎そごうにもこの大看板のレプリカがありました)
右:十合呉服店の引札(ひきふだ=チラシ)明治5年(1872年)頃
村野藤吾「そごう大阪本店」御堂筋側エレベーション
昭和7年(1932年)6月30日 建設は大倉土木(現大成建設)
昭和5年(1930年)そごうは、本店新店舗の設計者に当時新進の建築家「村野藤吾(福岡県立小倉工業高等学校卒)」を起用します。一期工事、二期工事の末、昭和10年(1935年)「そごう大阪本店」が完成。その後、村野藤吾は「そごう東京店」も設計しています。
エレベーター扉は島野三秋 作「黒漆蒔絵模様(漆象嵌花鳥図)」
そごう大阪本店 新築開店の新聞広告 昭和10年(1935年)(大阪毎日新聞)
藤川勇造氏の「飛躍の像」をメインビジュアルに使用
そごう大阪本店 第三期工事完成後の斬新なグラビア新聞広告
昭和13年(1938年)(大阪毎日新聞)
この村野藤吾が設計した「そごう大阪本店」の淡い黄褐色のトラバーチンと大理石を使った外観デザインが、のちの「黒崎そごう」をはじめとしたそごうグループ各店の外観デザインのベースになっています。
昭和20年(1945年)3月13日「大阪大空襲」から、わずか2日後の大阪心斎橋「そごう大阪本店」「大丸心斎橋店」付近の惨状
そごうは、辛うじて直接の被災を免れました…
「OSAKA PX」のネオンが付け替えられた そごう大阪本店
「OSAKA PX」時代の そごう大阪本店 正面エントランス付近のカラー写真
アメリカ進駐軍の軍用車両が駐まり、シャッターに「PX」の文字が見える (C)Robert V. Mosier
昭和21年(1946年)5月1日「そごう大阪本店」は、アメリカ進駐軍に「OSAKA PX(軍人・軍属向け物品販売所)」として全店接収され、「OSAKA COMMUNITY CENTER(大阪中央公会所)」と呼ばれる駐留軍施設として利用されることになりました。接収は、昭和27年(1952年)まで6年間も続き、その間は唯一の大型店「そごう神戸支店」と5つの営業所(そごう本部卸商品館・そごう難波店・そごう阿倍野店・そごう全国食品市場・そごう百貨更正デポー)のみで〈そごう〉を支えなくてはなりませんでした。その時点で、接収を解除されたのは「そごう大阪本店(OSAKA PX)」と「小倉玉屋(KOKURA PX)」のみでした。
そごう大阪本店 のシンボル「飛躍の像」昭和10年(1935年)
高さ210cm・ブロンズ像・御堂筋側外壁地上18〜21mに位置
日本近代彫刻界の第一人者 帝国美術院会員(二科会名誉会員) 藤川勇造 作
そごう神戸店 移転新築開店 昭和8年(1933年)10月1日 (C)大林組
かつて存在していた神戸市電と そごう神戸店(昭和40年代) (C)神戸市広報課
そごうのロゴマークは「まるにちきり」または「まるちきり」と呼ばれています。「ちきり」は縦糸を巻く織機の付属具で、当初そごうが呉服店(十合呉服店)であったころ、織機にちなんでマークとして使ったものです。また「ちきり」は石材や木材などをつなぐときに用いる堅木の「千切り」に通じ、堅く結びつくことも表わしてます。さらに「まるちきり」は「五」の文字を図案化したもので「りゅうご」とも言われ、形がエンドレスなところが目出たい意味も持ってます。なお、マークの規格は、直径の9分の1をもって、円の太さ(外円および内部)が定められています。
「ダリア」は躍進そごうの店花。親切・感謝を表します。優美な大輪「デコラティブ咲き」豪華で花首が強く、上向きに咲く「ダリア」はそごうの限りない将来への発展を象徴しています。(しかし残念ながら経営破綻してしまいました…)
※1967年ストアフラワー「ダリア」を制定