幻のデパート「福岡そごう」
1990年代後半、水島社長が小倉と共に〝地熱〟を感じる街「福岡市天神」に、福岡県内ではグループ3店舗目に当たる「福岡そごう」出店計画がありました。出店場所は「博多大丸」の向かいに新しく建設される「西鉄福岡駅ターミナルビル(Cビル)」。現在は「福岡三越」がキーテナントとして出店していますが、当時の「そごう」幹部情報によると、最終コンペ後の西鉄役員決裁では「そごう」出店で、ほぼ決まっていたとのことです。
しかし、大どんでん返しが起こります。福岡市財界による政治的な動きにより、最終コンペで落選していた「三越」の出店が決まったといいます(一時、三越・井筒屋・西鉄の合弁会社案もありました)。福岡県内の天神・黒崎・小倉の3大拠点の一等地を、中央百貨店の「そごう」1社が独占することを地元財界が嫌ったからだと言われています(地元紙情報)。
この「福岡市天神」出店に際し、少しでもコンペで有利に働くよう「黒崎そごう」においても画策をしていました(もちろんそごう本社の指示ですが)。ビルオーナー「西鉄」との関わり強化のため、開店時「まるで宇宙戦艦!」のキャッチコピーでおなじみの広告会社「大広」を外し、西鉄のグループ会社「西鉄エージェンシー」をメインの広告代理店に変更しました。さらに、福岡地区の外商拠点「そごう博多ご用承り所」を「西鉄大手門ビル」にテナントとして入居させました。
もし、この出店が成功していたなら「福岡そごう」は破綻後も存続店舗になっていたかも知れません…
九州の中心地・福岡市天神にある「福岡三越」
(そごうが入る予定だった???)
西鉄福岡駅の再開発 そごう、出店の意向、副社長が公式表明 (1985年12月5日)
そごうの井上盛市副社長は4日、東京都内で記者会見し、西日本鉄道が計画している西鉄大牟田線・福岡駅再開発に触れ、「立地条件の良い場所に出店したいという意欲は持っている」と語り、間接的な表現ながら進出の意向を示した。西鉄が10月末に同駅再開発の青写真を年内に作成すると発表して以来、そごうの名が取りざたされていたが、同社首脳が公式に進出意欲を表明したのは初めて。西鉄福岡駅再開発に伴う出店問題については、すでに岩田屋が西鉄に対し正式な申し入れをしており、また西鉄グループの井筒屋も出店へ関心を寄せている。今回、そごうが進出の意向を表明したことで、地場、中央の百貨店入り乱れての競争となり、西鉄側の対応が注目される。井上副社長によると、福岡市への出店はそごうの念願という。西鉄は昭和51年にも西鉄福岡駅の再開発を計画したが、このときにもそごうが有力候補にあげられた。しかし、西鉄が石油ショック後の不況で計画を断念したため、そごう側もあきらめざるを得なかった。その後、そごうは北九州市にねらいを定め、昭和54年に黒崎そごうを出店、現在も小倉駅前再開発に伴う出店計画を進めている。しかし、西鉄福岡駅への進出意向を示したことで、福岡市への出店意欲を現在も持ち続けていることが明らかになった。これに対し西鉄側は「年内に青写真を完成するという段階で、テナントうんぬんはまだ先の話」(橋本尚行専務)と言っている。一方、そごうの井上副社長は「出店する、しないは相手先の意向とも関連する」として他の百貨店の動きも見守りながら計画を進める構え。そごうと西鉄は現在、微妙な関係にある。小倉駅前への進出計画でそごうは西鉄グループの井筒屋と対立する一方、同じ西鉄グループの広告会社、西鉄エージェンシーが黒崎そごうの代理店となるなど緊密さを増しているとの見方もある。西鉄福岡駅の青写真が完成する前にあえてそごうが進出意向を示したことで、両社の関係がどう変わるのか、注目される。