宿命のライバル そごう vs 井筒屋
「そごう」は「黒崎そごう」新規出店に際し、競合百貨店「八幡井筒屋(現 黒崎井筒屋)」が増床拡張できないよう「八幡井筒屋」南側の公園通りを挟んだ土地を購入し(子会社:十栄商事株式会社 名義)、5階建ての新築ビル「ふれあい会館※」を建設しました。
さらに東側の黒崎新天街アーケード内の旧焼肉店跡を購入し、改装後、ゲームセンターとして貸し出しました。
これにより「八幡井筒屋」は、ライバル「そごう」によって店舗周辺が固められ、増床拡張することが不可能となりました。
迎え撃つ「井筒屋」も「黒崎そごう」包囲網として、「黒崎そごう」開店から2年後の1981年に郊外型低層百貨店「本城井筒屋」を開店させました。しかし、うまくいかず1984年に閉店…
さらに「井筒屋」は「小倉そごう」新規出店に際し、「小倉そごう」建設予定地の一角を「井筒屋」の子会社である「宝町会館」名義で秘密裏に購入。地権者の一人となり、一時期「小倉そごう」開店にストップが掛かったことがありました。
お互いにいろいろありました…
※ふれあい会館:そごう文化教室・中華料理チネーゼ紅林・サン明治屋・インド料理シバなどが入居
北九州プリンスホテル「北九州曲里蠟燭能」協賛広告(1994年)
「小倉そごう」と「黒崎そごう」の複雑な関係
前章でも記載しましたが、元々、九州出店には「そごう」独自による「小倉そごう」出店計画のみが存在し、「黒崎そごう」は北九州市からの要望によるイレギュラー出店でした。当時、九州では知名度ゼロの「そごう」ブランド。そこから地道にストアブランドの構築と顧客作りを進めてきた「黒崎そごう」ですが、開店14年目に「小倉そごう」が開店します。店舗規模は「黒崎そごう」の約1.5倍で、最新設備に豪華な内装、シャネルなどのスーパーブランドを導入した重量級仕様。都心小倉と副都心黒崎の立地。安普請「黒崎そごう」はどう見ても太刀打ちできません。「小倉そごう」は「そごう本社」から投入された潤沢な宣伝広告費で、豪華イベントや、広域テレビスポット、さらに新聞折込チラシも「黒崎そごう」の商圏全域をもカバー。「黒崎そごう」の地盤を荒らすライバル店でもありました。「黒崎そごう」にとって「小倉そごう」は、人事交流の深い姉妹店。さらに出資先(20%)でもあるため、法人格としては先輩「黒崎そごう」が上、グループ内の店格は後輩「小倉そごう」が上。隣接商圏ゆえのこの複雑な人間関係ならぬ店舗関係は、「そごう」特有の別法人独立採算制の弊害と言えます。その原則独立採算制のはずなのに「黒崎そごう」の利益は、全く関係のない、絢爛豪華な超赤字店舗「奈良そごう」への補填に使われていたという矛盾。まあ「小倉そごう」に関しては、下関・北九州・筑豊・京築・中津エリア圧倒的地域一番店になることが「そごう」グループの至上命令だったので仕方ないのですが…
それにしても閉店時にあった「小倉そごう」約400億円、「黒崎そごう」約200億円の売上はどこに消えてしまったのでしょうか…