〈追記〉村野藤吾とそごう
そごう大阪店(心斎橋そごう)
1933年[第1期]/1935年[第2期]/1937年[第3期]/1952年[改修]/1969年[増築]
大阪市中央区心斎橋筋1丁目8-3
ロシア構成主義の「そごう百貨店」、かたやアメリカンボザールの「大丸百貨店(W・M・ヴォーリズ設計)」は、御堂筋沿いに並んで建っていた。村野の「そごう百貨店」は、淡い黄褐色のトラバーチンとガラスブロックの凹凸により、幻想的な陰翳が印象的であった。「そごう」と「大丸」は大阪市営地下鉄1号線の心斎橋駅の開設に合わせ、共にその全容を現した。その後、1937年の御堂筋の完成により、垂直リブのある「そごう百貨店」は移動しながら見る建築として、3分の2世紀の時を御堂筋の代表的景観の1つとして持続した。定点で見る様式建築の「大丸」と比較すれば、モダニズム建築としての「そごう」は、2003年に取り壊された今こそ、改めてその価値や存在の重さを強く印象付ける。村野はあるインタビューで、ラジオの横縞を縦縞にしたとデザインの根拠を語っているが、それは上記の意図が実現できると確信があってのことである。ロダンの弟子、藤川勇造が制作した西立面の「飛躍」と島野三秋制作のエレベーター扉は改築されたそごう心斎橋本店に受け継がれ、特別食堂の壁画、藤田嗣治「春」の一部は新高輪プリンスホテルのメインバー「あさま」にある。内部、特に階段回りのやわらかい紐をイメージした曲線は、やがて大衆の好むところとなった。また、6階に茶室があり、文化的なサロンとして豊かさに寄与した。
そごう東京店(有楽町そごう)
1957年
東京都千代田区有楽町1-11-1
JR有楽町駅の西側に隣接する三角形の敷地に建つ。地下2階〜地上6階はそごう東京店(有楽町そごう)、7〜9階は約1,100名収容のホールをもつ読売会館。外観より、この2つの機能は分割されていることがわかり、明快である。東面が線路に呼応するかのように緩やかにカーブし、北面および東面はガラスブロック(現在は型板ガラス)がはめられ、暗緑色のファサードを構成する。西面は目地をなくした白い大理石のテッセラ貼りの美しい壁面であった。敷地条件を逆手に取り、三角形の敷地に対して三隅に階段を配し、狭くなりがちな売場を有効に取るなど平面計画の巧みさがうかがえる。内部の機能に対し、外部の表現は異なる。このことが、竣工当時、建築界の話題となった。同年竣工した、北東隣地の旧東京都庁舎(丹下健三設計)との比較である。2001年、東面と北面を残し、ファサードは改装された。ちなみに、当時の流行歌、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」は、有楽町そごうのCMソングである。
食品市場そごう阿倍野店
1947年 / 大阪市阿倍野区阿倍野筋1丁目54番地
(村野藤吾 設計)
参考文献
●村野藤吾建築案内(村野藤吾研究会・TOTO出版・2009年発行)
●村野藤吾建築設計図展カタログ3「村野藤吾とふたつのそごう」(京都工芸繊維大学美術工芸資料館・村野藤吾の設計研究会・2001年発行)