日本最大の百貨店 そごうの実像1
日経ビジネス 1992.11.09
立地も規模も常識破り地域一番店への執念
「そごうが1991年度グループ売上高で,百貨店日本一に」--。日本一の百貨店は高島屋か三越とばかり思っていた人には,にわかに信じられない事実だろう。それほどそごうの日本一達成は足早に,そして静かにやってきた。
下のグラフは百貨店主要4社(そごう,高島屋,三越,西武百貨店)の過去5年のグループ売上高を表したものだ。87年度では4番目に位置していたそごうのグループ売上高が大きく伸長,ついに91年度で約1兆4000億円と他社を引き離した。
82年2月期には3500億円足らずだったグループ売上高は10年間で4倍の急成長を遂げた。「流通の雄」と呼ばれたスーパーを見ても,この10年間ではダイエーグループの売上高が約2.5倍,イトーヨーカ堂グループが約3.6倍だから,「老年期を迎えた」とも評される百貨店業界の中にあって,そごうグループの急成長は驚異的といえる。
それを支えたのがおう盛な新規出店だ。過去5年間に海外を含め15店を出し,現在35店に達している。同時期の高島屋の出店数3店,三越の4店(小規模店舗を除く)をはるかに上回るペースだ。
海外では84年に開店したタイそごうを皮切りに,シンガポール,インドネシアなど東南アジアに大型店を重点展開している。日本人観光客の「土産物店」にすぎなかった百貨店の海外進出を革新,百貨店大手の東南アジアでの大型店ブームに火をつけた。
繁華街の外れに巨艦店舗複雑な共同出資で立ち上げ
新規出店はすべて別会社の形態をとっている。上場しているそごう本社と各グループ企業の資本関係は薄く,連結決算の対象にもなっていない。しかも新会社は千葉そごうや広島そごうなどグループ企業が中心となって共同出資するため,12ページのような複雑な出資相関図が出来上がる。これでは外部の目に「えたいの知れない企業」と映るのも無理はない。
水島広雄社長自身,「それぞれの店が自主独立で頑張ることを基本にしているから,グループ全体の売り上げにはこだわっていません」と話す。実態もよくつかめぬまま日本一の座へ駆け上がったそごうの姿は,百貨店業界の中でも“異端児”と呼ぶにふさわしい。
社員構成を見てもそごうの異端ぶりがうかがえる。そごうの場合,問屋の派遣社員が多く,自社店員の比率が他の百貨店に比べて低い。
愛媛県松山市では,いよてつそごうと三越松山店が,同規模の店を隣接した場所に構えている。両店に納入している業者によると「そごうは社員1人に派遣社員が2.5人いる。三越は0.6人程度で大きな差がある」という。急ピッチの多店舗化で不足する人材を,外部の力も総動員して補っている。
常識破りなのは出店ペースや社員構成だけではない。とても一等地とは呼べない,繁華街から外れた場所にそごうは店舗面積3万平方メートル以上の「巨艦店」を作ってしまう。
例えば,74年に開店した広島そごうは広島市の商業中心地・八丁堀から約1キロメートル離れた基町にある。開店当初は人通りも少なく,初年度売上高は123億円と惨たんたる状況だった。
売り場面積は1万平方メートル足らずで開店したが,その後増床を重ね,9年後には3万平方メートルを超えた。さらにバスターミナルが店舗の3階に併設されると,市内から人が集まり,状況は一変した。飛躍的に売り上げが伸び,91年度で821億円を記録。そごうの集客力に目を付けて専門店などが周辺に相次いで建ち,現在では八丁堀と並び「そごうタウン」と呼ばれる繁華街を形成している。
東武百貨店の山中社長はそごうを百貨店を近代化した“ターミナル型百貨店”と評する。「新興住宅地を背景に持つ地域や交通の要所に出店して人を集めている」。ここ10年で住宅地がさらに郊外へ広がり,百貨店の立地条件は変わりつつある。そこへ真っ先に目をつけたのがそごうだった。
この哲学を水島社長は“漁礁理論”と命名している。漁礁とは,魚を集めるために海底に沈める廃船のこと。「小さい漁礁をつくっても,魚は来やしません。逆に100倍の大きさの漁礁をつくれば,1万倍の魚が集まってくる。百貨店も同じ。都心の狭い土地に建てるよりも,少し不便でも大きな店を建てる方がお客様は集まるのです」(水島社長)。
地元商店街活性化へ5億円一度決めたら必ず出店する底力
もっとも,いくら巨艦店主義を掲げてみても出店できなければ,しょせん「絵に描いたモチ」に過ぎない。そごうの強さは,一度決めたら必ず実現する「政治力」にある。今年4月にオープンした福山そごうはその典型例だ。
広島県福山市は周辺市町村を含めると商圏人口が80万人とも100万人ともいわれる。百貨店は天満屋福山店の1店しかなかったため,そごうにはぜひとも出店したい地域だった。
新店の場所は福山駅から西へ400メートル離れた西町にある山陽染工(本社福山市)の工場跡地。周囲には住宅が立ち並び,商店がほとんどない。そこにそごうは売り場面積3万4400平方メートルという中国地方最大の店を出した。
88年,福山市と商工会議所に出店計画書を提出。福山の商業発展を掲げた商工会議所の支持を受け,そごうは出店に向けて大きく踏み出した。
ところが,駅前の東地区にある商店街が「そごう進出は死活問題」と一斉に反対。約2年にわたる反対運動の末,最終的に出店を決定づけたのが,そごうによる5億円の基金だった。
「福山そごうが銀行に5億円を10年間預託,その利子を商店街振興組合連合会が商店街の活性化のために使うかわりに出店には反対しない」という協定が,そごう,小林政夫・商工会議所会頭(現名誉会頭),同副会頭でもある鍋島喜八郎・商振連会長の間で成立,以後,反対運動は沈静化した。
鍋島副会頭は「昨年は商店街の人間でヨーロッパの主要都市の商業施設を見学してきた。今では反対する人はほとんどいない」と話す。地元の商店主は「もう昔の話だから」と口を閉ざす。
福山そごう出店で地元が揺れている時,さらに周囲を驚かせたのは,そごうが福山で2店目を出す意向を表明したことである。
福山駅前にある伏見町の再開発計画が浮上,商業施設のキーテナントをめぐり,そごうをはじめ天満屋,西武百貨店,近鉄百貨店が名乗りをあげた。90年11月,最終的に伏見町市街地再開発準備組合はキーテナントをそごうに決定した。事前商業活動調整協議会で西町への福山1号店の出店が決定して,わずか半年後のことである。
もっとも伏見町の場合,商店主など地権者が200人以上いるとみられ,「再開発が動き出すのは21世紀」という見方が大勢を占める。「もし伏見町に他社が出店すれば,西町のそごうは致命的な打撃を受ける。他社の進出を阻止するため“生命線”である伏見町を押さえた」とみる関係者もいる。
確かに300億円以上を投資して完成した福山そごうの豪華な外観から,もう1店舗できるとは考えにくい。しかし,あくまでも地域一番店にこだわるそごうの基本戦略からすれば,当然の防御策といえるかもしれない。
堺市進出も10年越しで実現へ「40店舗達成」はほぼ確実
大阪・堺市の南海電鉄・中百舌鳥(なかもず)駅前への出店をめぐる争いでも,そごうは底力を見せつけた。
中百舌鳥地区は人口約17万人の泉北ニュータウンを背景に擁し,将来の発展が見込まれるため,大阪府と堺市が「副都心計画」の中心地と位置づけている。82年に「中百舌鳥駅前土地区画整理事業」が認可され,駅前11.3ヘクタールの土地が区画整理の対象となった。
そごうの井上盛市副社長は「当時の我堂武夫市長から『核店舗として出店してほしい』との要請を受けて,土地の取得を開始した」と言う。しかし,84年に我堂市長が死去,後ろ盾を失う。西武百貨店,阪急百貨店が相次いで名乗りをあげ,そごうの出店は暗礁に乗り上げた。
87年に地権者で組織する中百舌鳥駅前共同事業準備組合が発足。「組合上層部は西武支持派が多く,そごうを締め出した」と関係者は内幕を語る。88年にはコンペが実施され,結果は阪急,西武,そごうの順となったが,最終的に組合がテナントに決定したのは西武だった。
出店への執念を燃やすそごうは,その後も地権者から土地の取得を続けて巻き返しに出た。「共同事業でテナント料をもらうか,そごうに土地を売るかをめぐって地権者間で対立が生じた」(関係者)。この混乱に乗じて,そごうは「選考過程に問題があった」と異議を申し立て,結局,91年3月には組合の決定を白紙に戻した。
組合は今年3月,調整役を堺市に委任。堺市は「テナントが西武に決まった時,組合には地権者の半数しか加入しておらず,地権者であるそごうも参加できなかった。本来は全員で決めるべきだ」との姿勢を打ち出し,調整を再開した。そごうは9月に「中百舌鳥そごう開設準備室」を発足,出店に向けて体制を固めた。
9月末には西武が景況悪化を理由に辞退し,そごう進出が事実上,決まった。10月には市と地権者との集会でそごうの出店が満場一致で正式に可決された。10年越しの執念がようやく実を結んだ瞬間だった。
バブル時代に出店攻勢をかけてきたそごうだが,景気後退色が明確になってきた今年6月,水島社長は「現在進行中の店舗は除き,出店をスローダウンする」と内外に宣言した。中百舌鳥店についても,「時期は遅れそうだ」(水島社長)という。
だが,当面の計画を見る限り,とても出店にブレーキがかかっているとは思えない。来年以降,決まっている店だけでも千葉新店,広島新館,北九州の小倉,香川県・高松など5店以上に上り,40店舗達成はほぼ間違いない。それどころか「50店舗」体制さえそう遠い話ではないようにみえる。
用地取得→巨額借り入れ→出店→含み益で累損一掃
土地神話崩れ,そごう流「錬金術」に陰り
急拡大を続けるそごう--。外からみて大きなナゾは,その資金調達方法だ。次々と大型店を立ち上げるカネをどこから持って来るのか。グループの全容がつかみにくい上に,水島社長のカリスマぶりが喧伝(けんでん)されている。そこから「錬金術」「水島担保」と言われ,金融機関に巨額の融資を認めさせる特別の手法でもあるのではないか,との憶測が生じている。
開店の話が出る前に安値で用地取得グループ挙げ新会社に債務保証
「錬金術」の中身を詳しく見てみよう。スタートは用地の取得だ。85年に開業した横浜そごうの場合,69年に「株式会社横浜そごう」を設立した。その前後から,出店に備えて土地を物色し始めている。「同じころに広島や千葉でもダミー会社が用地を取得した。開店の話が表に出る5年前には,土地の買い付けに着手しているようだ」と関係者は指摘する。土地は店舗用,社宅用など可能な限り手当てする。
「駅裏で人気もなく,海に面した場所に出すと決めた時は,不動産業者から『魚相手に商売するのか』と言われた」(横浜出店にかかわった元そごう社員)。それだけに購入価格は安かった。「千葉の土地は,平均で坪(3.3平方メートル)130万円程度で買ったはず」(そごう役員)。これが錬金術のタネになる。
用地取得と並行して,グループ各社の出資で新店を運営する新会社を設立する。資本金は1億円程度なので大きな負担にはならない。
地元との調整を経て,いよいよ出店だ。ここでグループ各社の力が発揮される。上場しているそごう本社や,すでに独り立ちしたグループ企業の債務保証によって,新会社が極力低利で金融機関から借り入れできるようにする。
再び横浜そごうを例にとる。85年9月,日本一の売り場面積を持つ百貨店(当時)としてオープンしただけに,開店資金は約590億円と,当時としてはケタ外れで,日本興業銀行を中心に23行が協調融資した。信用の裏付けになったのは,そごう本社の債務保証だ。85年2月期には195億円だった横浜そごう向けの債務保証は,翌年には741億円へと膨れ上がった。
開店後しばらくは初期投資の負担が重く,赤字がたまっていく。資本金が少ないのであっという間に債務超過になる。普通の企業ならば借り増しはできないが,グループの債務保証が付いているし,直接グループ企業から借り入れることもできる。グループ内でも「債務超過が理由で,責められることはまずない」(ある店長)という。
やがて,地域で一番大きな店は集客力を発揮,それとともに売り上げが伸び,借入金の金利を払っても単年度で利益が出るようになる。この報告を毎月の店長会議で発表するのが,そごうグループの店長にとって最も晴れがましい瞬間だ。
最近では87年にオープンした大宮そごうが,今期で単年度黒字達成が確実になり,店長は横浜そごうで開かれた店長会議で「全国の店長から盛んな拍手を浴びた」(他店店長)という。 期間損益が黒字に転じ,安定して利益を稼げると判断した段階で,店舗や土地の自社保有にこだわったことが生きてくる。保有する土地などを,時価に評価替えしていく。取得時にはぺんぺん草の生えていた土地も,そごうの出店で地域一の商業地になっており,時価と簿価の差,つまり含み益は膨大になっている。
損益黒字化後に不動産評価替え「300億円程度の累損は消せる」
この含み益をさまざまな方法で生かして,開店以来たまった累積損失を相殺してしまうのだ。不動産の保有会社を合併,資産の再評価を行うなどの手法もとられている模様だが,累損の一掃という狙いは同じ。「仮に累積損失額が200億円から300億円程度のものならば,不動産の評価替えで大体消してしまいます。大宮は来年には消えるでしょう」(水島社長)。昨年末に大宮そごうは,柏そごうの系列とみられる不動産管理会社,エスアンドエム(埼玉県大宮市)を合併した。これは,黒字化を見込み,累損を一掃する準備とみられる。
グループの債務保証の裏付けと,地価を上げて赤字を吹き飛ばす能力があるからこそ,金融機関も新会社に安心して巨額の貸し付けをする。まさに百貨店と言うよりデベロッパーの手法だ。
併せて本社などの債務保証が外される。独り立ちできる店になったという証明だ。大宮そごうで見ると,黒字化を機に,前期末で387億円あった本社の債務保証が,この8月中間期にはゼロになった。
開店から期間損益黒字,累損一掃までは「5~6年が望ましい」(財務担当の中沢幸夫副社長)。税務上,損失は5年間繰り延べできるので,土地の益出しを無税で実施して累損を消せる。また,売却益を出しすぎて課税されないよう,累損に見合う分だけの土地を分筆してから売却するなどの工夫も行う。
土地を使った節税策は,一見,西武鉄道グループと同じという印象を与える。しかし西武が申告所得を極力抑えようとするのに対し,そごうはそれぞれのグループ会社が利益を計上し,「税金を払って地域に還元するのが最終的な目的」(そごう役員)。実際,千葉,柏などのグループ企業は経常利益を上げ,税金を支払っている。
累損が消えるとはいえ,これはあくまで帳簿上の操作で,巨額の借入金が消えるわけではない。しかし,金融機関にしてみれば債務超過の会社と,累損ゼロの会社とでは貸付先の評価という点では天と地ほどの差がある。これでこの会社は自前の資金調達力を持ち,新会社への債務保証,資金供給が可能になる。一つのサイクルが完了し,次の拡大再生産が始まるわけだ。
債務保証ができるまでに育った企業は,本社を別にして「千葉,柏,広島,黒崎,徳島などの各社」(そごう役員)。かつては本社と千葉だけが債務保証をしていたため,両社の保証額はピーク時3000億円前後まで達したが,地方のいくつかの店が育ったので分散できるようになった。
85年以前に出店したところでは船橋そごうを除き黒字になっている。また,今期中には大宮に加え,呉そごうも黒字化する見通しという。
仮に出店をそごう本社の支店としてやっていたら,一つの店が立ち上がるまでの損失が,すべて本社の決算に反映してしまう。そごう本体の利益(前期末で当期利益55億6000万円)では,横浜クラスの出店をカバーしきれず,赤字転落となって,資金調達の道が閉ざされる可能性すらある。グループ各社の株式を分散,本体の連結対象から外しているのも,連結決算への悪影響を避けるとともに,新店のリスクを本社と切り離すためだ。
「最初はそんなやり方では成功しないと業界で随分笑われました。今は全部の百貨店が,そごう方式で別会社でやっている。笑っていた人が,ノウハウを知りたいと頭を下げてきますよ」(水島社長)。
地価下落,冷え込む消費銀行は未利用地の売却要請も
平成景気はそごうの出店方式にとって,またとない追い風になった。金融の超緩和で低コストのカネを借りやすくなり,地価上昇で含みが増えた。さらに消費が過熱し,売り上げも急増。そごうグループはこの間の大量出店をテコに,ついに百貨店売上高日本一の座についた。
しかし皮肉にも,日本一になったとたん風向きは変わった。銀行は融資に慎重になり,地価は下落し,消費は冷え込んでいる。
もちろん環境の悪化はそごうに限った話ではない。しかし,そごうの日本一達成の原動力になった新店のいくつかは,建設費が高騰した時期に建てたため,初期投資が膨らんでいる。
「土地は昔手に入れたものだから助かっている。建築費が予想外に高くなりました。大宮までは5年から6年で期間黒字にできたが,新しい店は期間黒字が出るまで7年から8年になるかな。2,3年遅れそうです」(水島社長)。
バブル後遺症などで銀行が新規の融資に慎重になっているのも気がかり。そごう本社だけでも長短借入金は前期末で1190億円。グループ全体での借入金は,「海外を含めて1兆円強」(取引金融機関)という。店舗の拡大再生産システムは,裏返せば借入金の拡大再生産にほかならない。
「記者会見で,時勢がこうだから,仕掛かり品だけは完成して新規出店は一服すると言ったら,そごうは行き詰まりとか報道された。冗談じゃありません」(水島社長)。
しかし金融機関の見方が徐々に厳しくなっているのは事実だ。ある銀行は「既存店分の借入金は,返済に使える現金収入があるから心配ない。しかしいつ着工するか分からない増床や新店予定地は整理した方が良い」と語る。
そごうは開店・増床の用地を先行して取得するため,まだ使っていない細切れの土地をかなり所有している。「含み益は軽く1兆円を超える」(取引銀行)というだけに,未利用の土地を売却し,少しでも借入金を減らすように要請しているわけだ。
新規出店の減速,効率化逆風下,拡大から内部固めへ
そごう流の「錬金術」が限界に来はじめたことは同社が最もよく知っている。土地の含み益が膨らむという前提が崩れ,事業利益で累損を消すしかなくなれば,過大な借入金は重荷になる。
「行政とか町の有力者とかみんな頼んで来るんです。義理人情もあるけれど,採算主義でいかないと生き残れない。だからそろばんに合わないところはお断りしております」(水島社長)。
そごうグループの財務内容は,実はこれからさらに苦しくなる。千葉の新店,小倉そごうなど「仕掛かり品」の開店でさらに資金が必要になるためだ。「借入金の額は94年2月期がピーク」(取引銀行)になりそうで,総額は1兆2000億円程度に膨らむ可能性がある。
「今が一番つらい時。合理化がうまくいき,借入金が減り始めれば,95年2月期から楽になるはず」(取引銀行)。
厳しい環境に直面し,そごうは新規出店を減速する傍ら,グループを挙げて効率化に取り組み始めている。「特別なものではなく,総利益率の改善,経費の節減,在庫や売掛金を圧縮し資金効率を向上するなど,基本的な点の徹底を図る」(中沢副社長)。
上のグラフで分かる通り,正社員を多重活用しつつ派遣社員が多い人員構成が効いて,売上高販売管理費比率こそ他社に比べ優れているが,売上高総利益率は平均を割っている。そのほかの指標も水準以上のものはない。日本一の百貨店チェーンを築きながら,仕入れ力の向上などチェーンのメリットを十分に享受しているとはいい難い。
土地神話は崩壊し,これまでのそごうの手法は通用しなくなってきた。「今回ぼくは水島君を見直したよ。しばらく出店をストップすると言ったからね。進む時は楽,引く時は難しい。水島君はそれを実践した。これは勇気のいることだ」。水島氏の出身母体,興銀の中山素平特別顧問はこう語る。土地を根幹に置いた日本経済の仕組みが変わり始めている時に,それとともに伸びてきたそごうもまた拡大から内部固めへと変わらざるを得ない。
(続きは非公開です)
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