そごう 土壇場の再建計画の成否〜拡大路線で借入金は1兆7270億円営業力弱く復活のシナリオ見えず〜
日経ビジネス 1999.11.15
そごうグループが土壇場だ。借入金は1兆7270億円にまで膨らんだ。肝心の業績も不振を極めており、グループ経常収支は赤字に陥った。営業力の弱さ、借入金の多さは水島廣雄会長の拡大戦略に起因する。水島路線を否定し、改善を進めて経常黒字を確保し続けなければ、“そごう消滅の日”さえ避けられない。
日本一の100円ショップが入店
日本一の100円ショップが百貨店の中に誕生!――。来春にも、こんな宣伝が世間に広まりそうだ。東京・多摩市の百貨店、多摩そごうに、売り場面積3300m2の巨大100円ショップがテナントとして入店するのだ。まだ100円ショップを経営する企業と正式には契約を結んでいないが、現在、最後の調整を進めている段階。同店の5階部分のほとんどを100円ショップが埋め尽くすのは間違いない。
高級感やブランド力を売り物にする百貨店が100円ショップをテナントとして迎えれば、店のイメージが損なわれる危険性がある。いくら100円ショップが消費者に支持されているとはいえ、百貨店としては本来迎え入れたくないはずだ。だが、そんなこだわりを捨てなければならないほど、多摩そごうは不振にあえいでいるのである。
多摩そごうは今年で開店10周年を迎えた。だが、業績は極めて厳しい。ある信用情報機関によれば1999年2月期の売上高は230億円。経常収支の赤字幅はグループでもワースト5に入るほど低迷している。一般的に、百貨店は売り場1m2当たりの売上高が最低でも100万円はないときついと言われる。しかし、多摩そごうは「50万円しかない」(東田博・多摩そごう社長)。
多摩そごうの売り場面積は飲食フロアを含め、約3万4000m2。もともと、鈴木俊一・元東京都知事が打ち出した「人口30万人の大ニュータウンを作る」という構想を前提に設計した。だが、バブル崩壊で目論見ははずれた。人口は現在18万人。「2万m2あれば十分」(東田社長)になってしまった。
そんな巨艦店内の様子は、寂しい限りだ。この10月のある日曜日の夕方。一般的な百貨店なら客で最も混雑するはずの時間帯だが、売り場は空いていた。買い物に来ていたある中年女性は「客が少なくて、従業員に待ちかまえられているみたい」と話す。一番混雑する地下食料品売り場もそれほど込んではいない。隣に立地するイトーヨーカ堂の盛況ぶりとは対照的だ。
こうした状況から脱却しようと、多摩そごうは今、店舗構成の見直しを急いでいる。来年3月をめどに地下1階から3階までを自ら手がけ、4、5階を外部に転貸することにした。
だが、テナント探しは容易ではない。不況でメーカーや卸が出店に慎重なこともあるが、何より「百貨店とはいえ、多摩そごうは集客力が弱く、家賃の割に魅力が少ない」(あるアパレル企業の役員)と見られているからだ。実際、残った4階のテナントのめどは立っていない。6階の飲食店街の空きスペースを埋めようと、ある文化センターに入居を交渉したが拒否されてもいる。
とはいえ、2001年2月期末の時点に償却前経常利益で黒字を確保することが、取引金融機関への約束であり、実現できなければグループとして多摩そごうの閉店も辞さない構え。改革は待ったなしだ。
そこで、東田社長が来年度から取ろうとしている窮余の策が、グループの基幹店である横浜そごう(横浜市)による賃借だ。横浜そごうが多摩そごうの4、5階を借り受け、賃借料を払って支援するのだ。
両店は別法人で、形式上、多摩そごうとしてはテナントを見つけたことになる。実際には、メーカーや問屋に発言力のある横浜そごうがテナントを探す。横浜そごうから見れば2フロアを押しつけられる形だ。横浜そごうの副社長も務める東田・多摩そごう社長は「横浜からの持ち出しは5000万円までにしたい」と打ち明ける。
国内29店舗中13店舗が赤字
グループで苦しんでいるのは、多摩そごうだけではない。それどころか、グループ全体が“沈みかけた巨艦船”なのだ。
1999年8月中間期末の金融機関からの借り入れは、国内外を合わせて1兆7270億円と膨大。肝心の業績は国内の29店舗中13店舗が経常赤字で、グループ合計で99年2月期は6億円の経常赤字に陥った。売上高も阪神・淡路大震災で神戸店が倒壊し、打撃を受けた95年度に比べて2000億円も減少、1兆円の大台を切った。今は、3700億円を融資するメーンバンクの日本興業銀行や2100億円を貸し付けている日本長期信用銀行をはじめとする160の取引金融機関に残高維持協力を仰ぎ、金利だけを納めて何とか生き延びている。
だが、特別公的管理にあった長銀が事実上、米リップルウッド・ホールディングスを中心とする投資組合に譲渡されることが決定。3年間は融資を継続する方針とはいえ、これをきっかけにそごうの取引金融機関の間で動きがある可能性もある。
そごうがこれほど多数の金融機関と取引があるのは、上場している株式会社そごうの3店(東京、大阪、神戸)以外の店舗を1店舗ごとに別法人化しているからだ。水島廣雄会長が株式の50%を保有する千葉そごうを中心に、株式を複雑に持ち合う形でグループを形成している。それぞれの店舗に、信用金庫や地方銀行など、その地域の金融機関が融資しているのである。それらの金融機関を「興銀のそごう担当者が飛び回って、どうにかこうにか残高維持を続けている」(ある金融機関幹部)。
膨大な借入金がある上に業績不振が続いているため、各金融機関が融資を引き揚げているという噂が後を絶たないが、「今引き揚げたら、次々に連鎖してあっという間にそごうグループは崩壊する。金融機関同士が牽制し合いながら、そうならないように均衡を保っているのが現状」(同)だ。
そうした状態を少しでも改善しようと、そごうグループは今、上場している株式会社そごうの山田恭一社長を中心にリストラに取り組んでいる。今春、不振店の業態変更と販売管理費を200億円削減することを柱とした改革案を出したが、取引金融機関に不十分とされた。そこでこの10月、2001年2月期までの新たな再建計画を立案、それに基づいて改革をスタートさせた。
主な改革内容は、茂原そごう(千葉県茂原市)と加古川そごう別館(兵庫県加古川市)の閉鎖、450人の希望退職の実施な、海外店舗の転貸・売却、物流拠点などの売却、単品管理の推進と「オンリー・アット・そごう」導入による営業力強化、4つの基幹店を軸とした4ブロック制導入による後方業務の効率化とMD機能の強化――などである。
2年間で借入金556億円を削減
これらのリストラにより、2001年2月期までに販売管理費を282億円減らす考えだ。人件費は170億円、土地家賃費が78億円削減できるという。同時に、資産売却によって600億円を益出しする方針で、今後2年で556億円の借入金返済を目指している。
確かに、人員削減や家賃交渉、後方業務の統合化などによるコスト削減は進みそうだ。だが、疑問符を付けざるを得ない改革案も少なくない。
まず、不採算店の一部転貸や業態見直しについてだ。多摩そごうのケースでも分かる通り、転貸と言ってもそう簡単ではない。集客力の弱い不採算店にテナントはおいそれとは集まらない。ましてや、そごうが望むブランド力のあるテナントは、よほどいい条件を出さなければ入店してもらえない。
業態転換にしても、専門化を進めるには新たな取引先が必要になる。何より、専門店経営のノウハウが不足している。「丸井のメンズ館や西武百貨店のロフトなどは、一気に成果を出せたわけではない。すぐにああなれると思ったら大間違い」とある百貨店の部長は指摘する。
「有楽町で会いましょう」のコピーで名を馳せた東京店(東京・有楽町)は、開業後赤字続きなため、業態転換を目指す店に挙げられている。しかし、物件自体は賃貸でその気になれば閉めやすいだけに、百貨店業界やその周辺では閉店するという噂が絶えない。
不動産を売却後、賃借し直して営業を続けるという大阪店の運営にも不安は残る。大阪店が高く売れれば高く売れるほど、借り戻したときの家賃は高くなる。大阪店は営業力が衰え、現在大幅な経常赤字に陥っている。借り戻して営業したところで、果たして出血を止められるのだろうか。
そごうの阿部泰治副社長は「今でも大阪店はそごう本部に家賃を納めている。条件は変わらない」と説明する。だが、社内で動いていた家賃が外に出ていってしまうのだ。しかも、店は年々老朽化する。これ以上営業を続けることにどれほどの意味があるのか。
「そごう発祥の地である大阪は特別な存在。そう簡単に閉められない」と山田社長は言う。それに対して「あの店は売却後、最後に閉店セールをやってそのまま閉める」と断言する取引金融機関の幹部までいる。今後、確実に経常利益を出さなければ、残高維持を続けている金融機関を納得させることはできないだけに、「閉店」がにわかに真実味を帯びてくる。
営業力強化の柱としている「オンリー・アット・そごう」の導入も、即効性はなさそうだ。メーカーと組み、そごうでしか扱わない商品、またはそごうで先行販売する商品に「オンリー・アット・そごう」の目印を付けて販売するというもので、プライベートブランド(PB)のようにそごうのブランドでなく、あくまでもメーカーのブランド名を残す。「基本的には買い取り」と山田社長は言うが、売れ残れば、タグをはずして返品もできる。
例えば、オンワード樫山のブランド「五大陸」では、既に「五大陸」の商品だが「オンリー・アット・そごう」の紙製のタグを付けて、展開を始めている。「従来のPBは力もないのに、顧客に押しつけていた。今回は、メーカーのブランドを生かせるので実売率が上がり、最終的な利益率が高まる。しかも、ほかの百貨店では扱えないので、特徴が出せる」と山田社長は期待を寄せる。
そごうの売上高粗利益率は同業他社に比べて低い。そごうの99年8月中間期の売上高粗利益率は24.1%。高島屋の27.4%、三越の26.3%などに比べると見劣りする。それを少しでも改善しようという策だが、すぐに大きく利益を押し上げるとは考えにくい。
いくらグループ制の導入で共同仕入れを進めるとはいえ、「オンリー・アット・そごう」の商品と似たような商品はほかの百貨店や専門店にもいくらでもある。しかも、展開するのは、800品番分のみ。ほかの百貨店や特徴ある専門店との違いを出し、消費者を強く引きつけるだけのパワーがあるとは思えない。商品力や営業力を付けようとする試みは重要だが、それは一朝一夕に実現するものではないだけに、見通しが甘いと言わざるを得ない。
「消える日」いつでもおかしくない
一方、来年度から基幹4店(千葉、横浜、神戸、広島)を軸に、グループを4つのブロックに分けて改革に取り組む方法は、これまでは「グループ全体では規模は大きいのに、その特徴を生かし切れていなかった」(そごうの名取正副社長)だけに、改善効果は得られるだろう。既に一部の現場では「配送拠点の統合化で物流コストが大幅に減った」(水島有一・横浜そごう店長)、「この冬のクリスマスや年末年始商戦で販売促進や仕入れを共同化する」(高橋貞夫・そごう神戸店長)といった具体的な実績や動きが出始めている。
そごうにとって救いなのは、多くの社員が前向きに改善に取り組んでいることだ。希望退職の実施、所得減少など、暗い話題が多い中、店舗を改善しようと懸命だ。高橋神戸店長は「ブロック制の導入でやるべきことが示され、社員の動きが変わった」と言う。
しかし、そごうグループの最大の問題点は、改善に時間のかかる店舗の営業力が弱いことにある。ある大手アパレルの社長は「横浜や神戸などの基幹店を除けば魅力がない」と指摘する。膨大な借金があるため重要な改装投資も十分にできない。店舗の魅力は日を追うごとに失われ、強いテナントを集めるのは一層困難になる。悪循環だ。
現場の社員たちが懸命に改善に取り組んで利益をひねり出しても、売り上げが大きく落ちればそれはあっという間に吹き飛ぶ。衣料品や雑貨などの専門店が台頭している今、果たしてそごうグループは対抗していけるのか。
本来は、赤字で再生の見込みがない店はすぐにでも閉めるのが筋だ。しかし、そう単純にはいかないのがそごうグループ再生の難しさを物語っている。各地の地元金融機関には1店舗だけに融資しているところも多い。店を閉める場合、貸付金を引き揚げなければならないが、店は債務超過で返済資金がない。開店時には、基幹店を中心にグループの別の店が債務保証をしているので、基幹店の業績が悪化する。閉店はグループ全体に影響を及ぼすのだ。
更に、本業以外に手を出したわけではないだけに、ダイエーやセゾングループのようにそごうには売れる資産もほとんどない。一方で、営業力を早急に向上させる妙策もなく、不採算店の閉鎖もままならない…。「改革のスピードが遅いという指摘があるが、経営陣も、もはやこれ以上はどうすることもできないというのが本音」(ある取引金融機関幹部)なのである。
「金融機関が債権放棄するしか生き残りの道はない」という声も聞かれる。しかし、よほどの再生プランが描けなければ、各金融機関は債権放棄や金利減免などには応じない。今、そごうグループにできることは毎年、少しずつでも経常収支を黒字にして金利を払い続け、景気が戻り、売り上げが戻るまで何とか持ちこたえるしかないのだ。
そごうグループは、今期末で5億円、来期は88億円の経常利益を出す計画だが、「これは死守しなければならない」(山田社長)。万一、計画が崩れれば、金融機関の足並みが乱れ、一気に資金の回収に走る可能性もある。そごうの命の砂時計が切れるのが早いのか、それとも景気が盛り上がり、業績が回復するまで持ちこたえられるのか。そごうが消える日はいつ来てもおかしくはない。
経営危機招いた水島会長の舵取り 野放図な出店が致命傷に
そごうは本業である百貨店に特化してきたにもかかわらず、本業で行き詰まった。そごうの置かれている状況は、本業以外にも手を出して失敗したダイエーやセゾングループよりも厳しいといえる。その原因をたどっていくと、1962年から94年まで実に30年以上もの間、社長として君臨した水島廣雄会長に行き着く。水島氏による野放図な出店が、現在の経営危機を招いたといっても過言ではない。
水島氏が編み出した“成長の方程式”はこうだ。まず出店に際しては、周辺にあるどの小売店より大きな巨艦店を出す。「都心の狭い土地に小さい店を建てるより、少々不便でも大きな店を建てる方が客は集まる」というのが水島氏の持論だ。水島氏は興銀出身で銀行に顔がきくため、資金調達も思うままだった。店舗周辺の土地を駐車場などの名目で安く取得しておき、そごうの出店で地価が高騰した時点で評価替えする。その結果、店舗の累積損失が一気に消える仕組みだ。百貨店業というより、不動産業といった方が近い。
水島氏が社長になった当時、そごうは東京、大阪、神戸の3店しかなかった。水島氏は10店を目標にした「グレーターそごう」、30店が目標の「トリプルそごう」などの出店構想を矢継ぎ早に打ち出し、国内外で40店を超える日本最大の百貨店に育て上げた。しかしバブル崩壊以降の消費不況と地価の下落によって、多くの店舗が苦境にあえいでいる。今になってみれば「なぜ、こんなところに出店したのか」「なぜ、これほど大きな店にしてしまったのか」と思わせる店ばかりだ。ある取引銀行の幹部は「多店舗展開の半分は明らかな失敗」と断じる。
来年1月末に閉館する加古川そごう(兵庫県加古川市)の別館は、そごうの失敗の過程を知るに良い例だ。もともとは91年にジャスコが撤退した後を、加古川そごうが増床という形で引き継いだ。しかし本館から100mも離れていて不便なうえ、周辺の郊外にイトーヨーカ堂、マイカルなどが大型のショッピングセンターを相次いで開業したため、売り上げは低迷。テコ入れのため今年1月には別館をアウトレット(在庫処分)店に転換したが、赤字体質から脱却できなかった。増床そのものが間違っていたと言わざるを得ない。
増床を決断したのは水島氏だ。加古川そごうの役員会に上がってきた事業計画書には、次のように記されていた。売り場が2万m2から3万m2に拡大するのに伴い、売上高も200億円から300億円に増加、別館は開業3年目に黒字化する――。バブル崩壊前とはいえ、余りに楽観的すぎる数字である。
巨艦店を志向する水島氏の意向をおもんぱかり、現場が水増しした数字を作っていた様子がうかがえる。また当時は加古川市や地元商店街から「(ジャスコの撤退跡地を)何とかしてほしい」という強い要望が上がっていた。あるそごう関係者は「水島会長は頼まれると断れない性格」と話す。
しかも加古川店は増床したものの、家具、家庭用品、呉服などを漫然と並べただけで、売り場に魅力が伴わなかった。もともと、そごうは多店舗展開に商品力が追い付かず、品ぞろえから店舗運営まで全面的に問屋に依存する体質が染みついている。ある大手アパレルの社長は「何も考えずに、大ざっぱな売り場を作っている。とにかく埋めればよいという感じだ」と話す。
各店舗が稼いだわずかばかりの利益も、グループの次の出店のために拠出しなければならない。東京、大阪、神戸の3店を管轄する株式会社そごうは、グループ会社に対し長短合わせて2550億円を貸し付けている。そのあおりを受けて、東京店、大阪店は慢性的な赤字であるにもかかわらず、改装はほとんどしていない。既存店の活性化より新規出店を優先するというのが、水島氏の発想だったといえる。
値上がり益を見込んでせっせと買った土地は、今では神通力を失ってしまった。まだバブルの余韻が残っていた92年、銀行はそごうに対して土地の売却を提案したが、水島氏は首を縦に振らなかった。本誌92年11月9日号のインタビューで、水島氏は次のように話している。
「5年ぐらいすれば土地も銀行も息を吹き返すのではと信じています。それに、いま土地を売却したら、取得価格が安いだけに、売却益のほとんどを税金で持っていかれてしまいます」
言うまでもなく、地価は92年以降も一段と下落した。もし当時、水島氏が土地や株を売却し有利子負債の返済に回していれば、現在のそごうを取り巻く環境はもっと違っていたはずだ。
同じインタビューで水島氏は「これまで築き上げたそごうの経営方式が良いか悪いかは、やがて歴史が証明することでしょう」と大見得を切った。それから7年。現状を見れば、水島理論の「非」は証明されたも同然だろう。水島氏の何が正しくて、何が間違っていたのかをきちんと評価し、社員に広く知らしめるところからしか、そごうの本当の再建は始まらない。
西武百貨店との合併、銀行再編で現実味が?
そごうと西武百貨店が合併――。一部の銀行の間で、驚くべきシナリオがささやかれている。常識的に見れば、両社とも経営再建の真っ最中で他社を救済する余裕はない。しかし不振に陥った背景を比べると、1+1が3にも4にもなり得る絶妙の組み合わせであることが分かる。
そごうはお金を借りて店舗という“箱”は作ったが、そこに入れるべき“商品”がない。どれだけ人件費を削減しても、それ以上の速さで売り上げが落ち込めば、赤字は膨らむ。いわゆる縮小スパイラルに陥る危険を抱えている。
一方の西武百貨店を中心としたセゾングループは、リゾート開発や金融事業で多額の借金を背負ったものの、本業は堅調だ。99年2月期の西武百貨店は4期連続の増益となった。さらにグループにはクレディセゾン、良品計画、パルコ、音楽・映像ソフトのウェイブ、書籍のリブロ、雑貨のロフトなど優良企業が数多い。
「セゾングループの経営資源をそごうの店舗に注入すれば、そごうの利益が大幅に伸びる」というのが、合併説の根拠となっている。最近になって西武百貨店は郊外進出に強い意欲を見せており、出店地域がそごうの既存店と重なる可能性も出てきた。しかもセゾンのメーン銀行である第一勧業銀行と、そごうのメーン銀行である日本興業銀行は、来年秋をメドに持ち株会社方式で事業統合する。そごうと西武百貨店の合併で借金返済のペースが早まるのであれば、新銀行にとって、これほど喜ばしいことはない。
こう見てくると合併もがぜん現実味を帯びてくる。もちろんセゾンの堤清二氏、そごうの水島氏という2人のカリスマが、ともに経営責任をとることが前提だ。
山田恭一・そごう社長に聞く
水島会長の多店舗展開は間違っていない
問 そごうは土地の値上がりを前提とした多店舗展開によって、多数の不採算店を抱えた。水島会長の責任をどう考えているか。
答 私は多店舗展開は間違っていなかったと思う。多店舗展開しないで東京、大阪、神戸の3店だけにとどめていたら、従業員は夢を持てない。将来のポストもない。とりわけ多店舗展開していて良かったと切実に感じたのは、阪神・淡路大震災の時だ。神戸店の営業再開には多大な時間とコストがかかった。もし3店だけであれば、そごうは地球から消えていただろう。
むしろ反省しなければならないのは我々だ。会長が銀行からお金を借りてこられて、店を作られた。会長のお顔があるから、お金がどんどん出てきた。それを受けた店長以下が、いつまでも赤字でいいという感覚でずっと仕事をしてきたことが問題だった。東京店など開業して40年間ずっと赤字だったわけで、なぜ(水島氏が)経営者として指摘しなかったかということもあると思うが、私は物理的に30店を1人で見ることなどできないと思う。
問 加古川店の別館のように、今になってみると「なぜあんなところに」という店が多い。水島会長は「出店しない」という決断もできたのではないか。
答 様々な客観情勢のなかで立案した我々の責任だろう。最終的に役員会で決めるわけだから、役員会にすべての責任があると思う。水島氏から「将来バブルが崩壊するから、出店してはいけない」と言われていれば、出店をとりやめていたかもしれない。しかし、バブル崩壊は当時誰も予測していなかった。そこまで経営責任を問われるのであれば、(経営者は)何もできない。加古川の別館の例で言えば、役員会に上がってきた事業計画書は3年で黒字になるとなっていた。
問 水島会長に正確な情報が伝わっていなかった、つまり“裸の王様”だったということにならないか。
答 そうかもしれない。しかし事業計画を作った担当者は、達成可能と思っていたのだろう。いずれにしても、事業計画の数値が正しいかどうかをチェックする機関がなかったということは言える。
問 今回発表した再建計画には、水島会長の意見も反映されているのか。
答 我々は「こうしたい」という意見を会長に具申する。我々より会長の方がずっと厳しくて、「(閉店は)ここだけか」「考えが甘いのでは」などと言われた。
問 再建計画は本当に達成できるか。
答 売上高が横ばいでも利益が出る体質を目指す。バブル期に「大きければよい」と言って、どんどん店舗を大きくした。しかし店舗には適正規模があって、売り場面積を半分にしたから売り上げが半分になるわけではない。逆に言えば、これまで相当大ざっぱなことをしていたわけで、それを今後はどんどん切っていく。更に希望退職者の募集や家賃の値下げなど一連のリストラの効果が、今年度下期から来年度にかけて本格的に出てくる。再建計画は何としても達成するし、達成できる状況にあると考えている。
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