企業研究そごう 出店手法
1991.10.15
人も 金も地元密着、再開発事業に強さ発揮。
川口そごうが十六日オープン、そごうの店舗が内外合わせて三十店になる。二十店舗目が開業してから、わずか四年。スーパー顔負けのスピード出店だ。しかも五十店をめざして今も走り続けている。その原動力は徹底した地元密着の姿勢と持ち前の政治力、情報収集力でいち早く有利な立地条件を確保、その一方、店舗運営は問屋に全面依存するという「デベロッパー型経営」にある。だが、内需拡大の波に乗って成功したかに見えるその独特の経営に、死角はないのだろうか。
「お客様からいただく売上金は一円も東京、大阪には持って帰りません。すべて川口市に還元します」。川口そごう開店に先立つ 七日の竣工披露パーティーで、水島広雄社長はこうあいさつした。
水島社長は過去十数年、どこに出店する場合も同じ文句を繰り返している。「川口市」の部分が違うだけだ。店舗ごとに地域法人をつくるそごうにとって、「地元への利益還元」は最大のセールスポイント。この“殺し文句”が、多店舗化の原動力になっている。
もちろん、高島屋、東急百貨店などが地域法人の形で出店した例はある。しかし、高島屋が昨年九月に関東高島屋を 吸収合併したように、地域法人の店舗は単独で利益を生むようになった段階で、本体に組み入れられ、支店になるケースが一般的だ。
その点、そごうは六七年に開店した地域法人第一号の千葉そごう以来、本体に組み込んだ例がひとつもない。「あくまで地域の企業として頑張ってもらう」(水島社長)という地元密着主義は、周辺商店街にとっても「説得力を 持つ」(白崎八郎川口市商店街連合会会長)と言わせるほどだ。
そごうの地元密着は、おカネの還元に限らない。
例えば、長屋王邸宅跡などの出土で話題になった奈良そごう(八九年十月 開店)。建設用地は平城京の中心部で、店舗建設に伴い奈良国立文化財研究所が実施した発掘調査の結果、六万五千点に上る木簡が見つかった。こうした場合、 発掘にかかる費用は建設面積分のみ地権者が負担し、周囲の敷地は地権者と発掘する当事者が協議のうえ分担するのが通例。
だが、そごうは約四億円に及ぶ発掘費用を全面的に負担。さらに、法隆寺夢殿の約二分の一の「浮夢殿」を一階の吹き抜けに設けるなど、地元への気遣いを見せた。
地域へ溶け込むうえで見逃せないのが、店長の役割。その大半が地元財界、行政などとの対外折衝で、「店内を見る時間がほとんどない」(そごうのある店長)という。店づくりは店次長にほぼ任せて、みずからは 会合やパーティーなどに飛び回る。八五年九月の横浜そごう出店に 際しては、当初の資本金一億円が「ほとんど地元関係者との懇談費用に消えた」(ある地元財界人)と言われる。
また、そごうでは地域法人にいったん店長として赴任すると、定年まで務めるのが原則。他の大手百貨店の店長が三年程度で かわるのとは対照的に、文字通り骨を埋める。こうして地元経済界の顔となり、「地域での企業基盤を強固なものにしていく」(水島社長)のがそごうの戦略だ。
こうした実績を背景に、そごうの下には全国から出店情報が次々に舞い込んでくる。とりわけ、自治体主体の都市再開発情報には圧倒的な強みを見せている。
「そごうは とかく“前例”を重くみる自治体の特性を、よく心得ていた。各地で実績を積み重ね、再開発に強いそごうというイメージを完全に定着させたのが大きな強み」とある百貨店の店舗開発担当者は指摘する。
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